宿屋の女将は、宿屋に泊ることが、ほとんどない。
そりゃそうだ。
一年中、休みなく働いている職業である。
自らが、どこかに旅にいく機会など、滅多になく、
よそ様のホテルや旅館に宿泊する経験があまりないものと察する。
その道のプロでありながら、その道に触れる事が少ない。
勉強のために、旅行をする事はあるだろうが、
一般の我々のほうが、実は、泊るプロとも云える。
しょうがないのだろうが、少しさびしい。
これは、他の職業でも、同じことが言える。
<飲食店のオヤジは飲食店に行かない>
行かないのではなく、その時間に、行けないのである。
夕方のよき時間帯、
我らが舌鼓を打ち、ビールをあおっている楽しき時間に、
飲み屋の店主は、働いているのである。
やはり、ビールを呷っている我らのほうが、呑みプロなのだ。
しょうがないのだが、少しさびしい。
括れば、サービス業の悲しさだ。
人様に差し上げるサービスを自分が受ける訳にはいかない。
私に例をふれば、
「自分の舞台を自分では観られない」
括れば、私も旅館の女将や、飲み屋のオヤジと、
同じ悲しみを味わっている。
これを、
悲しみと言うか、
楽しみと呼ぶかは、
その個人の心持ちいかんである。
さて、ちょぃと一杯、ノレンをくぐってみますか?
さくら鍋 食べ終わりにきる シャッター