「♪~お江戸、日本ば~し~♪」
日本橋は、日本の道路のポイント0である。
国道の距離はここから測られている。
『東京まで、552キロ』との表示があれば、
日本橋の真ん中の、一点までの距離である。
その日本橋も、頭上には、首都高速道路が走り、
屋根が被さっているようで、やや往年の趣にかける。
往年と云ったが、実は、その昔、この場所には、
魚河岸があった。
現在の築地魚河岸の前、つまり、関東大震災で焼け出される以前には、
日本橋の川岸が、魚集積所となっていた。
もちろん江戸時代からの魚河岸だ。
一新太助は、連日この日本橋に通っていたようだ。
「どけどけどけ~い、魚腐っちまうゼィ!」
威勢のいい掛け声は、日本橋で響いていた江戸っ子なまりだ。
魚河岸と云えば、
築地魚河岸の、来年の移転が決まった。
行先は、豊洲(とよす)埋立地だ。
《豊洲魚河岸》?と名を変えるらしい。
そして、遠い将来、豊洲三代目が仕切る頃になると、
築地の事は、忘れられてゆく。
「へ~築地に魚河岸があったんですかぁ~?」
日本橋と同じ運命をたどる。
懐かしむ白黒写真や、ニュース映像が、
レトロな風景として紹介される。
「わしゃ~なぁ、築地で活き魚を扱っておってな・・」
じい様の言葉が、レコード盤から流れてくるように、
堂々巡りする。
「こぐるま押して疲れたら、ターレーに乗ってじゃな」
じい様は、魚も好きだが、築地が好きなようだ。
「毎朝、場外で、モーニングセットのパンを食ってやな」
魚好きのくせに、朝飯はパンだと自慢している。
「わしのじい様は、日本橋の船頭さんじゃった」
そうか、じい様のじい様で、もう、江戸時代になりかけている。
明治維新など、さほど昔の話ではないのではないか・・
日本橋に首都高速という屋根が出来たのだって、
50年ほどしか経っていない昔だ。
よし、時間の距離感を、もっと縮めてみよう。
日本橋の近くで見つけた 牛乳石鹸 良い石鹸~♪