<大分県杵築市 大原邸 55年前>
「イシマルさん、出身地、大分県でいいんですよネ」
『はい』
「大分県のどこですか?」
悩ましい質問をされる。
この問いに、うまく答えられない。
大概の方は、故郷をポイントで言える。
しかし、私の場合、高校卒業までに、大分県の中を転々と引越しし、
覚えているだけで、17か所の家に住んでいた。
いろんな町や村で暮らしていたのである。
ゆえに、「古里はどこか?」の問いには、
「大分県」と答えることにしている。
幸いなことに、大分県以外には住んでいない。
つまり、方言は、かろうじて大分弁の範囲内だった。
方言でからかわれたり、笑われる待遇は避けられた。
ここで、私の友人、長谷川君が登場する。
長谷川君も、転校生だった。
県をまたぐ転校生だった。
北海道に暮らしていた小学時代に、ポ~ンと大阪に引越しした。
完璧なる北海道弁を喋る長谷川君は、笑われた。
「いいんでないかい?」
ドォ~~!
大阪の人たちは、笑うという行為は、蔑むのではなく、
褒めている表れでもある。
しかし、小学の長谷川君は傷ついた。
必死で、大阪弁を吸収した。
やがて、完璧な大阪弁を操った。
操りに成功した途端、転校となった。
移った先は、福岡。
「ええんちゃぅんかい?」
ドォ~~!
また、笑われた。
何を喋っても笑われた。
『おめぇ、漫才しょっとか』
長谷川君は、ふたたび傷ついた。
博多弁を、日々スピードラーニングした。
聞きまくった。
甲斐あって、完璧な博多人となった。
なった途端、東京へ連れていかれた。
「面白かとたい」
ドォ~~!
行く先々で笑いの餌食となった。
この洗礼のおかげで、長谷川君は、引っ込み思案な性格を獲得した。
よく考えてから、行動する人となった。
よく考える癖がつき、今、長谷川君は、作家になっている。
よく考えずに、すぐさま行動する私は、役者になった。
同じ転校生でも、県を跨ぐか跨がないかで、
これほどの違いが出るのである。
別府では、『湯本』ではなく、『風呂本』と云う。