宮崎県高千穂の蕎麦屋
《ソバ命》とは言わない。
《蕎麦にかける中年》とは言わない。
《蕎麦を食べに100キロ走る》とも言わない。
言わないものの、蕎麦に飢えている。
どのくらい飢えているかと云うと、
常に飢えている。
午後のひととき、
トンビがピンヒョロ鳴いている。
ふと空を見上げると、スジ雲がなびいている。
そのスジが、蕎麦に見える。
「よし、どこか蕎麦食いに行こうか・・」
喉の奥、胃袋の手前あたりが、蕎麦を欲している。
ススリたがっている。
ズズズ~
音を立てたがっている。
シィ~ハッ
食べた後の、爪楊枝使いの音まで望んでいる。
「いらっしゃいませ~」
蕎麦屋に入る。
四角い椅子に座る。
お品書きを眺める。
ページをめくり、熱いの冷たいの、
眺め眺め、眺め尽くして、結局、
「もり蕎麦」
ぼそりとつぶやく。
一番安い品を頼んでも、
まったくイヤな顔をしないのが、蕎麦屋だ。
『ポテト、付けますか?』
『アップルパイいかがですか?』
『セットもございますが』
などとは、聞いてこない。
聞いてこない代わりに、最後に、
もれなく蕎麦湯を出してくる。
「ソバユいかがですか?」などとの質問はなく、
ただ、静かに「ソバユです」
蕎麦湯を置いてゆく。
この当たり前の儀式に、蕎麦屋の心意気を感じる。
大相撲のラストの、『弓取り式』的な儀式かもしれない。
弓取り式を見たら(蕎麦湯を飲んだら)、
「もう、腰をあげろよ」ってことだナ。
余韻は、公園のベンチで・・・
岩手の蕎麦屋