確率の話をしよう。
統計学とも関わっている。
昨日、ゴミ袋の開け口を間違って開けると述べた。
Tシャツをかぶる時、前後が逆になると述べた。
その確率が、極端に偏っているとも述べた。
すると、意見が出る。
「たまたまだろ?」
「そのうち、反対になって、平均化するヨ」
ところが、私は、そうは思わない。
私の意見は、こうだ。
確率ってのは、
《
個人レベルでは、どちらかに偏っている》
《社会全体で、平均化に向かっている》
たとえば・・・
残念にも、若くして亡くなった方の場合、
ある現象に対しては、どちらかに偏ったままであると思われる。
つまり、その行為の(Tシャツを着る)回数が少ない場合、
偏りが出る。
分数でいうところの、分母が小さいからである。
小さいったって、何百という単位だろうが、
社会全体の億という単位に比べれば、充分小さい。
「え~それでも、たまたまじゃないのぉ~?」
まだ、いぶかるアナタに、ジャンケンの話をしよう。
アナタは、ジャンケンで10連勝できますか?
出来るかも?
ほんじゃ、20連勝は?
30連勝は?
「さあ、第1回、世界ジャンケン大会で~す!」
世界中の人がトーナメント形式でジャンケン大会をしたとする。
60億人が、参加した場合、
33連勝すれば、世界一になれる。
なれるのではなく、何回大会をやっても必ず、
33連勝する人が現れる。
この人が、その後、負け続けるとは、思えない。
彼は、考えるだろう。
(自分は、もの凄く、偏っている)
《個人レベルでは、偏っている》というのはそういう意味だ。
だから、例えば、アナタに尋ねてみたい。
「卵を割った時、双子の卵を見た事が、
まだないのではありませんか?」