《
山は富士、海は瀬戸内、湯は別府》
第二次世界大戦が終わった、混乱期に、
こんなキャッチフレーズを、掲げた御仁がいた。
<油屋熊八》 あぶらや くまはち
大分県の別府で、亀の井ホテルを経営していた、
ちょいと変わった男である。
昭和初期に、
日本最初のバスガイドを創設した方でも知られている。
飛行機がまだ無い頃、九州の大分県に遊び客を呼び寄せる、
ありとあらゆるアイデアを、ぶちまけた人物だ。
別府に観光客を呼ぶ為に、都会に出かけた。
まず、富士山に登り、冒頭のキャッチコピーを放った。
次に、東京で、セスナ飛行機を飛ばし、空からビラを撒いた。
そのビラに書いてあった文字が、冒頭のキャッチフレーズだ。
「湯の町別府温泉に来てちょうだい」というふれ込みだ。
更に熊八は、戦後、別府に大きな桟橋を拵えた。
大阪から、瀬戸内海を渡って、
観光船を横付けしようと云うのだ。
この作戦は、当たった。
船を満載にして大量の観光客がやってきた。
その桟橋には、バスが待っている。
客は、そのまま、バスに吸い込まれ、
バスガイドのアナウンスを聞く事となる。
七五調の、若い女性の声が、車内に響き渡った。
「ここは湯の町ながれ川、夜は、湯の町不夜城に~」
日本初のバスガイドの名前をご存知だろうか?
ご紹介しよう。
《佐藤あやめ》
ウインドサーファーのバスガイド、ねーやんに質問してみた。
「佐藤あやめさんって、知ってる?」
『あったり前です』
「別府は・・?」
私の言葉を遮るように、ねーやんが語りだす。
『私達バスガイドの初研修は、
別府で行なわれるんですネ。
それぞれの土地の文化、歴史を勉強し、産業を理解してネ、
ご当地の歌を覚えますのネ。
それはそれは、たくさんの歌を覚えますわヨ。
アラ、お歌いしましょうかぁ~?』
まるでエンドレス蓄音機のように、
佐藤あやめさんのDNA弟子ねーやんの喉から、
蓄音が、あふれ出るのであった。
♪~べっぷ湯の町よさぁコラさいさい~♪