《板垣勘四郎》
ワサビを伊豆半島に広めた始祖として、
その功績をたたえ、伊豆の天城湯ヶ島町に、碑が建てられている。
では、彼は、どこから、そのワサビを持ってきたのだろうか?
1774年、しいたけ師だった板垣勘四郎が、
静岡県の有東木(うつるぎ)村から、ワサビの苗を持ち帰り、
天城ワサビの栽培が始まったとされている。
歴史を簡単に述べれば、これだけだ。
ああ、そうかいで終わってしまう。
1774年という具体的な数字が気になる。
いったい何の年数なんだろう?
そこで、私は、静岡県の有東木(うつろぎ)村におもむいた。
この村は、
日本で初めて、ワサビの栽培を始めた村だったのだ。
ここで、ワサビの特性をみてみよう。
ワサビとは、他の植物にとって
非常に強い毒を発する草なのだ。
周りの草は、皆死んでしまう。
その毒性は、なんと自らにもおよび、自分さえ、大きく育たない。
そんな自生のワサビを手なずけ、養殖したのが、
有東木(うつろぎ)村の人達だった。
このワサビに目を付けたのは、
時の将軍、江戸城にいた徳川将軍だ。
当然、ワサビは、御禁制の品となる。
そんなある日、村に、伊豆から、
椎茸の栽培を教えに来た人がいた。
板垣勘四郎。
彼には、野望があった。
御禁制とは知っていながら、
ワサビの苗の育て方を知りたかったのだ。
しかし、誰も、教えてくれる筈もない。
御禁制を破れば、獄門首うちの時代である。
長逗留の末、しいたけの技法を教え終わり、
さあ、帰るというその日だ。
実は、彼はこの村で、一人の娘と恋仲になっていた。
しかし、いずれ他国へ帰る身分。
叶わぬ恋・・・
伊豆へ帰るべく村をたつその日、
娘が、そっと道中の弁当を渡してくれた。
帰りの峠でその弁当を開けてみると・・・なんと!
ワサビの苗が入っているではないか!
しかして、伊豆半島にワサビ田が生まれたのである。
私が気になっているのは、勘四郎とその娘の恋の行方である。
伊豆にも、有東木(うつろぎ)にも、その後の記述はない。
ないが故に、私は想いを飛ばしている。
恐らく二人は、その後どこかで、
落ち合っているに違いない。
御禁制を破るほどの、娘のあつい想い・・
弁当箱を開けた時の勘四郎さんが、アナタだったら・・・
どうします?