《世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし》
在原業平(ありわらのなりひら)
伊勢物語に出てくる歌である。
「美しい桜が、もし無かったとしたら、
春は穏やかな気持ちでいられるのに」
とあえて、桜の美しさを賛歌している。
すると、誰かが、返歌をかえす。
《散ればこそ いとどさくらは めでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき》
「さくらは散るから良いのだ。
世の中に、不変のものなどないのだから」と歌っている。
どうも、詩人は、素直には、「美しい」と語らない。
その美しさを、ひねって表現したいらしい。
すると、明治の文豪、梶井基次郎は、こう述べた。
《桜の樹の下には、屍体が埋まっている》
どうやったら、ここまで想像力がたくましくなれるのだろう?
しかし、桜に辿りつく前に、梅も綺麗だったゾ。
椿のトンネルは、見事だったし、
菜の花畑の輝きは素晴らしく、
モクレンの香りにうっとりした。
桜は確かに見事なものだが、
もし、
桜がなくとも、何とかやっていけそうな気もする。
まもなくツツジも咲くしネ。
桃の花なんて、ピンクだらけになるのだナ。
とはいえ、まあ今年も借景の桜で一杯いきますか・・・
《借り桜 過払いですよと 散りはじめ》
ねこやなぎ