全国を車で旅していて、その町や村が、
良い町なのか、そうでないのかの目安にしている行為がある。
《右折時に、パッシングで行かせてくれるかどうか》
パッシングとは、一瞬ライトを光らせて、
「どうぞ、曲がってください」と譲ってくれる行為だ。
その行為によって、渋滞が減る。
圧倒的にスムーズにいくと言っていい。
私的な評価では、
パッシングで曲がらせてくれる事が多かった町は、
居心地が良い町だった。
その逆の場合は、街全体に殺伐とした雰囲気を感じていた。
これは、その町の人達の姿勢がそのまま出ているのかもしれない。
もちろん、一日や二日で分かるハズもないのだが。
行ったその日に、4回も5回もパッシング曲がりに出会うと、
その町が好きになる。
比例するかのように、町の人達との会話があたたかい。
そして不思議なことに、
パッシングで曲がらせてくれない町では、
こちらがパッシングしても、曲がってくれない事が多い。
つまり、普段からパッシング曲がりに出会っていない為に、
右折時に、ぼんやりしていると思われる。
予想していないと思われる。
実は、これが、危ない。
例えば、右折しようとしている乗用車の後ろから、
トラックが近づいているとしよう。
直進車である私がパッシングして「どうぞ」の合図をする。
その光を、右折車の後続トラックの運転手は見た。
彼は、
当然、右折車は曲がるだろうと予想し、
ブレーキを軽くしか踏まずに交差点に近づく。
しかし、右折車は反応しない。
「え~~~~!」
トラックは急ブレーキを踏まざるをえなくなる。
危ない。
右折車にパッシングをしない人の言い分もある。
「今、アンタが言ったような事がおこるじゃろ」
「パッシングされて進んだら、バイクが突っ込んできた」
この問題には、こう答えよう。
普段から「どうぞ」が行われていると、
皆が、バイクにも自転車にも気をつけるようになるものです。
そして、「どうぞ」をした回数だけ、
「どうぞ」をして貰えるようになる気がするのだが・・・