スーパーマンが、走ってきて、窓に向こうに飛び出す!
50年以上前に見た、ワンシーンだ。
小学生のけんじろう君は、それを見て、
「ふ~ん、あのあと、あのひとはどうなるのだろう?」
シーン的には、そのあと、あのひとは空を飛んでいる。
しかし、子供は意外に、冷静に見ているものだ。
どう考えても、窓から飛び出したら落ちる。
(たぶん、あのひとは落ちたな)
今語っているのは、リアルの考え方だ。
当時のリアルと、現代のリアルは違う。
現代のリアルの方が、圧倒的なリアル感を求めている。
一部のスキのないリアルを求めている。
しかし・・・
人間の想像力は、果てしない。
ある程度のルーズ感がある方が、面白いのではないか。
人間の想像力が、不自然な部分を埋めてくれるのではないか。
現実と空想の隙間を埋める作業は、いがいと難しい。
人によって、捉え方が違うからなのだが、
その差は、相当あると思われる。
さっきの話を例えにすると、
「窓から飛び出したスーパーマンは落ちた」と考える私と、
『そのまま飛んでいった』と言う友人がいる。
「あんなに早く服を着替えられるのはおかしい」という私に対し、
『おかしくない』と言う友人。
「クラークケントがスーパーマンだと、気づかないのは変だ」
という私に、
『考えてもみなかった』と反論する友人の鼻息は荒い。
どちらが、よりスーパーマンを堪能しているかといえば、
友人の方であるのは明らかだ。
リアルの考え方が違うからである。
現在のスーパーマンは、
私のようなひねくれた考え方をする人たちの意見を受け入れ、
どんどんリアルを追求している。
少々の間違いを強引さで押し通した時代の映画を、古いと指摘する。
しかし・・・
その間違いや、強引さを楽しむのも一興だったのではないか?
地球上に初めて現れた怪獣を見た村人が、
「ゴジラだ!」と絶叫してもいいのではないか?
『なぜ、その名前を知ったんだ?』
などと追及しなくてもいいのではないか?
ウルトラマンが怪獣と同じ大きさに変身した時、
<質量不変の法則>などを持ち出して、
議論しなくてもいいのではないか?
仮面ライダーのバイクに、
品川ナンバーが貼られてたっていいじゃないか!
しまった、極秘情報をバラシてしまった。