どうもよく分からない?
イワシは旨い。
魚屋で目が黒々とし、顔が活き活きとしたイワシを見つけると、
心が騒ぎ出し、買うつもりはなかったのに、
気づけば、お代を払っている。
夕食に、イワシを捌き、刺身に盛り付ける。
見事な色合いで、舌と胃袋を刺激する。
ワサビ醤油にチョンチョンとつけ、口中に放り込み、
奥歯で噛みしめる。
ジュワ~~~ン
この旨みは、何物にも代えがたい。
こんな旨い身を食べているハマチたちは幸せモノだ。
マグロもしかりである。
つまり、これほど旨くなかったら捕食対象になっていない。
進化の歴史の中で、
食べられる魚たちは旨みを増す仕組みになっている。
旨ければ旨いほど、多くの魚に食べられる仕組みなので、
その分、たくさん子供を増やすシステムが確立された。
これを、イワシ理論と呼んでおこう。
っと、ここまで、述べて・・?
クエスチョンマークが頭に灯った。
ほんとか?
では、さっき登場願ったハマチはどうだろう?
ハマチも、まけず劣らす旨い魚だぞ。
マグロはどうだ?
こいつも、我々は、頬張りたい魚の筆頭に挙げているじゃないか。
彼らを積極的に捕食する大きな魚はいないと思える。
人間が口に入れない限り、滅多なことでは、食べられない。
なのに、美味しい体を身に付けたのはなぜだろう?
先ほどのイワシ理論が成り立たないではないか。
イワシ学説は、間違いだったと糾弾されるかもしれない。
しかし、私としては、
<旨いから食われる>という説は捨てがたい。
そう思い込みたい。
この説を推進するには、
先ほどの
ハマチやマグロの旨さを否定するか、
あるいは、
彼らを捕食する体力のある魚がいない・・
と居直るしかない。
いずれにしろ、ハマチ達は、イワシを生で食べており、
私たち日本人も、生で食べている。
胃袋で味わうか、舌で味わうかの違いはあれ、
旨みに対する感性は、同等のものを持ち合わせている。
いつか、ハマチ君と同じテーブルについて、
イワシをいただいてみたい。
向こうが、コッチのテーブルにつくか、
コッチが、向こうの海に潜るかは、話し合いができないので、
いっそ、テーブルの横に生け簀を作って、
お互いが、その気になるというのはどうだろう?
もちろん、
君には手を出さないという、約束をしたうえで・・