「おかしいな?」
前々から苦々しく思っていた事に、
改めて苦々しく思ってみた。
水道管から送られてくるお湯である。
蛇口をひねると、お湯が出てくる。
といえど、すぐに出てくるのではない。
しばらく冷たい水が出る時間がある。
やがて、お湯に変わり、ちょいと使って止める。
さあ、ここで想像してみよう。
今、私が
ひねって止めた水道管の中はどうなっているだろう?
給湯器から送られた管の中にお湯が溜まっている。
我が家の場合だと、5m程にもなろうか・・
そのお湯は、次第にさめてゆく。
仮に、一時間後に再びお湯コックをひねると、
かなり冷めた水が動き始め、
再びお湯になるまで、おくり続ける。
つまり・・
お湯をちょいと出す為に、相当の無駄のお湯が、
水道管の中に溜まっている訳だ。
たとえば、ちょいと口をすすぐ。
その時・・
私の感で申すと、200㏄しか使わなかったのに、
なんリットルもの押し上げ予備軍のお湯が無駄となって、
水道管の中で使われなかったままで待機している。
使った量の10倍が、無駄になっている。
コレでいいのか、ドン!(机をたたいた音)
すると、肩をすくめる方の意見もある。
「それはネ、文明の進化の誤差として許されるんじゃないの」
「余裕という名の贅沢ですヨ」
「これまで、そのことに
知らんぷりしてきたクセに」
ディベートでやり込められれば、負けてしまいそうである。
特に、三番目の「知らんぷり」に傷つく。
分かってて、知らんぷりしていたのは認める。
水道管内の義憤から目をそらしていた。
そこでだ・・・
この無駄を、全家庭的になんとかしたら、
相当のエネルギー節約になるのではないだろうか?
これは、知らんぷりなどと云う、こころの問題ではなく、
器械の装置開発の問題であろうと思える。
なぜ、いままで、この問題に着手してこなかったのだろう?
まだ間に合う。
何か、新たな発想案を!
おたまじゃくし