スキーは危ない。
信州は飯山(いいやま)という所で、
初めてスキーをやった。
34年前のことだ。
始めてなもので、イデタチが
変だった。
黒の学生ズボンに、上は、米屋さんが
雨の日の配達に来ている雨合羽。
腰に蓑(みの)を付けている。
(濡れ防止に、民宿で借りてきた)
よし!初心者スクールに入るぞー。
女の子3人と一緒だった。その中の一人が
盛んにこちらを盗み見するので、
気があるのかな、と思ったら、イシマルの
イデタチが
気味悪かったらしい。
さあ、持ち前の運動神経がメキメキと音を立てて、
メキメキうまくなった。
3日目には、
シャッシャッシャッが出来る様になった。
シャッシャッシャッとは、シャッシャッシャッの事で、
え~と、オリンピックでいう
スラロームの事だ。
イシマル調子に乗った。
これまで、リフトを一段しか上がっていなかったのに、
もう一つ
上がった。
もう一つ上がったら、
さらに上がある事がわかった。
さらに上がった。
さらに上がったら、
もっと上があった。
もっと上に上がった。
そこは
頂上だった。
聞くところによると、そのゲレンデは、長野国体が催された会場で
なんか激しいコースらしい。
上がったものはしょうがない。
降りた。というより、ころげた。
そのうち、何となく、滑りやすそうな急斜面に入った。
真っ直ぐシュプールが描かれてある。
直滑降のコースに入りこんだようだ。
どんどんスピードがあがる。
止まりようがない。
前方にコブが見えてきた。
(ん?ジャンプ台?)
イシマル、運が無かった。
時代が悪かった。
時はまさに、札幌オリンピックの真っ最中。
ヒノマル飛行隊と云われた、
笠谷(かさや)はじめジャンプ陣が
金銀銅を独占していた時だった。日本中が
ジャンプの魅力にとり付かれていた。
誰もが飛びたがっていた。
シュワッチ!
イシマル飛んだ。笠谷になった。
踏み切りの前に身体を小さく丸める事を忘れなかった。
・ ・その後どうなったのだろう?
気を失うと目の前が真っ暗になるというが、
何故か
真っ白になった。
雪の中に埋もれていた。
頭が下になって、上半身が
埋まっている。
人が集まって、引っこ抜いてくれた。
スキーの先端が右目の上に刺さって、
大量に出血している。
病院に運ばれた。
おかげで、今でも、右目のほうが小さい。
スキーは危ない。
特に、役者は控えた方がいい。