
やっと、水道の蛇口が復活した。
3週間前、台所の蛇口が壊れた。
もげた。
以来、台所の水なしの生活を強いられた。
習慣とは恐ろしいもので、水が出ないという事実が、
なかなか受け入れられない。
脳が、反応しない。
分かっているハズなのに、蛇口をひねろうとしてしまう。
卵を割っては、蛇口をひねる。
ネギを刻もうとしては、蛇口にさわる。
一日や二日なら、染みついた習慣に惑わされても仕方ないが、
一週間を過ぎると、さすがに自分のふがいなさにガッカリする。
「また、触っちまった」
ヤカン片手に、こうべを垂れている。
そして2週間が過ぎた。
ついに、触るという行為はやめる事ができたが、
手を伸ばそうとしている自分がいる。
伸ばしながら、誰に気を使う訳でもなく、
その手で頭を掻いたりしている。
これはもう、《習慣》というモノではなくて、
《洗脳》ではないだろうか?
水道の蛇口における、洗脳という逆襲。
普段、「出るのが当たり前」と、気にすらしていない蛇口。
ひねれば出る。
ひねれば止まる。
水道の
ありがたみを、身をもって知らされた。
そして、3週間目にやっと、新品の部品が届く。
工事が終わる。
わざと、カップの洗い物を持ち、蛇口の前に立つ。
ゴクンッ
そっと蛇口に触る。
一度手を離し、二礼二拍手一礼。
いつもいつも長い間、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いネ。
グイッ
ジャ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

虹が・・・