
「よお~し、日光の男体山にいくゾ~」
早朝から、意気込んでいた。
天気予報をのぞいてみると、栃木県の予報が悪い。
雨かもしれん。
では、山梨の方角に向かおう!
すぐに舵を切りかえる。
今からでも、日帰りで行ける山を探した。
あった。
《茅が岳》かやがたけ 1704m
地図をコピーし、中央高速道路を走る。
韮崎インターで降り、10分。
登山口に着いた。
ん・・?
《深田久弥記念公園》?
深田久弥といえば、
《日本百名山》の本を出された、
山が好きな人達にとっては、神様的な存在だ。
その文章の細やかさと、登った山に対する愛情は深い。
そういえば、生前暮らしていたのは、この辺りだったハズ。
記念公園には、石碑があり、説明書きがある。
えっ、なになに・・
終焉の地?
そういえば、山の中で登っている最中に亡くなったと聞いた。
頂上まで、あとわずかな山道で、突然脳溢血で倒れた。
一緒に登っている友人が、
「この辺りは、イワカガミの花がたくさん咲くそうですヨ」
と告げると、
『そうですか』
と言って、こと切れた。
ラストの山行きが、茅が岳。
頂上にはたどり着けなかったものの、山の中で最後を迎えた。
地図には、その終焉の地が記されている。
向かった。
2時間ほどで、尾根に出た。
その直後、3人の登山者(おじさん)と出あった。
「どこからですか?」
『石川県の加賀から来たんだサ、焼岳に登ろうと出かけたら、
天気が悪いってんで、この山に来たのサ』
「へぇ~僕らは、男体山をあきらめて」
『加賀にネ、富士写ケ岳というのがあってやネ、
深田久弥さんが最初に登った山なんヨ』
「え~そうなんですか?」
『わたしら、それ登ってから、この山登りに来たんだサ』
「ってえことは?」
『ゼロ座から、最後の座へですネ』
尾根の先に、小さな石碑があった。
『深田久弥先生終焉の地』
けっして華やかでなく、かといって、ひっそりとでもなく、
静かに尾根道に置かれた石碑。
よし、ゼロ座にも出向いてみようかナ。
富士写ケ岳 ふじしゃがだけ 942m
「北東から眺めるとやネ、きれいな富士型をしとるデ」
『北東以外からだと?』
「え~と、なんや分からん形やネ」
