
《角替和枝》 つのがえかずえ 64才
44年前、《劇団暫》(しばらく)、というアングラ劇団があった。
アングラとは、アンダーグランドの意味で、
地下にある小さな劇場で、
50人、100人ほどの客を相手に芝居をしていた。
メジャーでないという意味で、アンダーグランドとも使っていた。
その暫に、角替和枝がいた。
もちろんイシマルもいた。
10人ほどの若者が、汗みどろになって、芝居をしていた。
なんせお金がない奴らばかり。
着ているものも粗末で、食べ物にも恵まれない。
やせ細り、常に飢えている。
誰かが食べ物関係のアルバイトを始めると、
寄ってたかって、残り物に群がった。
しかし、気概だけは高かった。
「面白い芝居をつくろう!」
アイデアが浮かぶと、すぐに芝居に採用した。
小さな劇場さえ借りられないので、
どこかの劇団が公演中の、使っていない昼間に、
われら暫の公演をおこなった。
料金は100円。
今の金額に換算しても500円。
しかし、内容はとても面白く、たくさんの客が押し掛けた。
年に何本も芝居をやった。
夜にやっている劇団の本公演より、沢山客が入るというので、
やがて、暫が本公演をうつことになった。
角替和枝は、暫の看板女優であった。
まだ20過ぎで、可愛らしく、芝居も切れよく、
お客に受けた。
お芝居の見た目だけで云えば、都会っ子なのだが、
元々、静岡の農家の出。
喋りに「ずら、だら」が日常的に出てくる。
下駄ばきにチャンチャンコを着こんで暮らしている。
都会的な顔立ちと、田舎モノの風貌とのギャップが、
厳しい時代の中、ほんわかした空気をつくった。
仲間には、
「かずえ、かずえ」と呼び捨てにされた。
つかこうへい事務所に、初めて出演したのも、イシマルと同時。
身体が弱かったのか、稽古場でよく倒れ、
病院に運こんだ。
よくまあ、64才まで生きながらえたものだ。
暫で、今では作家の長谷川康夫(当時役者)と、
角替和枝がつくった傑作作品。
《スチュアーデスの腹話術》
かずえが人形になり、長谷川が人形使い、
なぜか、人形(かずえ)が大阪弁のお転婆娘という設定。
「今日は、飛行機で来たんですよネ」
『ヒコーキぃバカ揺れ~』
「高いとこ飛んでネ」
『スッチャデス、きれいやわぁ~』
「スチュアーデスさんでしょ」
『すっちゃすっちゃ、スッチィ~!』
「やめなさい」
『♪~スッチィー音頭や、スッチィ~ホイホイ!』
10分ほどのコントに近い寸劇。
『花咲か村に春がきた』という芝居の、一場面。
ちなみにイシマルは、その村の奇術を使う和尚で、
かずえは、村娘。
当時のことでビデオも残っていないが、
鮮明に記憶に染みついている。
呼び捨てにできる女優が、ひとりいなくなった・・・