「さむい!」
身体が縮こまる時がある。
服を着こんでいる時に、それが起こった場合、
さらに着こめばなんとかなる。
しかし、
裸でいるしかない時は、そうはいかない。
そのその昔、独り身の頃、風呂釜が故障し、
わけあって修理がままならない冬があった。
真冬にお風呂が沸かせない。
湧かせないどころか、お湯そのものが蛇口から出ない。
じゃ、風呂に入らないのか・・というと、
そういう訳にもいかない。
しかたなしに冷水で、通常の風呂浴びにとりかかる。
通常とは・・・
頭を洗い、身体を洗う作業である。
真冬の水は、冷たい。
キンッと音がするほど冷たい。
頭髪をシャンプーでゴシゴシする辺りまでは、
なんとかなるが、それを洗い流すとなると・・
びゃあ~~~~
悲鳴が出る。
ま・そこはなんとか通過したとしよう。
問題は、全身洗い。
これも、アカスリでゴシゴシ作業まではなんとかなる。
なんとかなると言ったものの、すでに唇は真っ青。
足のフクラハギがこむらがえりを始めている。
さて、ここからだ・・
全身に、シャワーという名の、
噴き出し冷水を浴びせることになる。
想像するだに恐ろしい。
丸い蛇口を自分に向ける。
向けなくてはならない。
ここで、覚悟が決まる。
「南極、はじまりま~す!」
ジャ~~~~~~~~~~
不思議なことに、悲鳴はない。
覚悟さえすれば、悲鳴が出ないと悟る。
泡を落とすに30秒間~1分、
信じがたき時が過ぎてゆく。
この冷水全身洗いが、冬の間、延々続くのである。
毎日続くのである。
雨の日も、雪の日も・・
そう、雪の日は、さすがに風呂をやめようかと悩んだ。
しかし、「ここはひとつ」という言葉が浮かんだ。
「ここはひとつ、雪の日こそ冷水を浴びようではないか!」
行者的な発想にとりつかれた。
頭の中に、氷の滝にうたれている自分が浮かぶ。
今ここに、
こおり水をシャワーにして浴びている私がいる。
なばんだむ なばんだむ
雪降る窓を眺めながら・・・
富士山の噴火口内にもぐる