「この3本の爪楊枝のうち一本が当たりだ」
映画のワンシーンにこのセリフがある。
3本の爪楊枝にうち、一本だけ短いのがあり、
それを引けば、当たりもしくはハズレとなる。
運命をクジにゆだねよとの、考えだ。
ところが・・・
それは本当に平等ですか?
その3本は誰が持っているのか?
その人は信頼できるのか?
たとえばである。
私が持っていたとしよう。
インチキは簡単にできる。
ここで3枚の写真を見ていただこう。
さっき、チョチョイノチョイと撮影したフォトだ。
説明を分かりやすくする為に左端にだけ赤い色を塗った。
「さあ、どれかを選びなさい」
取ってほしくない爪楊枝に手が伸びた瞬間!
「言っておくが!」
大きめの声でしゃべる。
当然彼は、私を見る。
その瞬間指を握る。
握った指を開いたら、
さっきのポジションから爪楊枝は移動している。
「言っておくが、後悔はないんだネ」
セリフを終える。
(セリフはなんでもよい)
(なんならクシャミでもよい)
実に簡単な手品である。
誰でもできる。
3回も練習すれば、すぐできる。
と・・いうことは、
「この3本のうちの一本が当たりだ」
という・・・まるで完全平等的なくじ引きは、
実は、インチキの要素が含まれている。
そのくじ引きを始めた人物が、
本当に平等なくじ引きをしたいのなら、
違う選択をすべきであろう。
もしくは、
クジを始めた彼が爪楊枝を持つべきではない。