
谷川岳に《一の倉沢》いちのくらさわ、という場所がある。
沢という名前がついているが、
そこには身の毛もよだつ岸壁がそそりたっている。
1200mの標高差の絶壁。
18才の頃から、この岸壁のぞきに足しげく通った。
岸壁を登るのではない。
その下に立って、眺めるのである。
JRの土合駅地下ホームから462段という長い階段を登り、
お日様を拝んだら、だらだらと、
コンクリーの道をひたすら歩いてゆく。
やがて、ロープウエイの駅を通り越し、
谷川岳資料館をちょいと覗いて、一時間ほど緑の中を歩く。
(歩きたくない人は、シャトルバスが運行している)
すると、突然、見上げんばかりの大岩壁が目の前に登場する。
その写真は、谷川岳の観光写真で観るひとも多い。
しかし、写真とは、
あまりにもデカイものは撮り切れないので、
広角レンズで収めている。
したがって、大きさは表現されない。
写真に惹かれてやってきた初めての人は、
あまりの岸壁のスケールの大きさに、
腰が抜けそうになる。
これまで、何度もこの場所にやってきた私ですら、
腰が心配になる。
想像以上の迫力に圧倒されるのだ。
何回観ても、毎回圧倒される。
こんどこそはと心してやってきても、
「おおお~~~~!」
思わず声を発してしまう。
今回は、我らが山仲間のウエタケ君に見せたくて、連れてきた。
彼は、一の倉沢の真下に立った。
黙った。
しばらくしても口をひらかない。
ただ岩をにらんでいる。
この岸壁に、過去、数百人の人が吸い込まれていった。
ひとつの山で亡くなった数としては世界一で、
ギネスブックにも載っている。
土合駅の462段の階段の数すら越えてしまうという、
哀しい記録である。
そのひとりひとりの、谷川にかける青春の、
狂おしいほどの情熱がこだまし、
今も、時折、ハーケンをうつ音が聞こえてくる。
あれは、かれらの残響だろうか・・・
やっと振り返ったウエタケ君のほおが、赤るんでいた。
私はなぜ、岩登りをしなかったのかって?
(確かに岩好きなのに・・)
それはネ、最初に読んだ山の本が、
新田次郎著の、《孤高の人》だったからである。
一人で山に行く、単独行の加藤文太郎に憧れたのだ。
ところが一人では、岩は登れない。
ゆえに岩に登らなかったというだけの話なのだが、
もし、あの本ではなく、最初の山の本が、
岩に関する本だったとしたら、
ひょっとすると、
私も土合駅の階段の数に入っていたかもしれない。
慎重だが、無鉄砲の方がまさっている私の場合、
そちらの可能性の方が高い。
それはそれで仕方ない人生選択だろう。
今年も、一ノ倉の岸壁をのぞきに来た。
あと何回来るだろう?
一度も登った事のない場所に、
なぜこんなに惹かれるのだろう?