オリンピックパラリンピックの聖火ランナーに、
選んでいただいた。
大分県を走って、聖火をつなぐのである。
光栄の限りだ。
伝えられた瞬間、清らかな気持ちになった。
前回のオリンピックの時、私は10才。
小学5年生の初夏だった。
カラーとは名ばかりの、色のコントラス激しいカラーテレビで、
おびただしい競技を見た。
その時、聖火をリレーするという催しを知った。
アテネから、ずっと繋いでくるという、
空間的な距離におそれいった。
その様子は、たしか、大きなスクリーンで見た記憶がある。
今でいうパブリックビューである。
真っ白な体操服を着た大人の方が、背筋をスックと伸ばし、
ジョギングより少し速いスピードで国立競技場に入ってきた。
後日、坂井義則氏だと知る。
右手を軽くあげ、トーチカを掲げている。
そこには、本物の火が燃えていた。
(雨が降ったらどうするんだろう?)
いらぬ心配をした。
(転んで落としたらどうするのだろう)
小学生らしい心配をした。
聖火台への点火の直前、
坂井氏がまっすぐ正面を見据えたのを覚えている。
今思えば、あの方角に富士山があったのではなかろうか?
秋空に、早めの雪をかぶった富士の高嶺が、
浮かんでいたのでは・・・
石丸が走るのは4月、春真っ盛り!
いつものランニングのスピードを少しだけあげましょうか・・