
行きつけの魚屋に立ちよると、鰯がざるに盛られている。
6匹で300円だと貼ってある。
冬の時期の鰯は、まるまるとしている。
脂が異常にのっている。
鰯の顔に私の顔を近づけ、その目をしっかりみる。
目が生きている。
死んでいない。
死んでいるのに、死んでいないと表現するのは、
おかしな話しなのだが、
活き活きとした鰯に遭遇すると、
死んでいない説が浮上する。
「コレください」
『あいよ』
いとも簡単に交渉がなりたち、我が家の晩のおかずとなる。
とんで帰り、包丁を研ぎ、まな板の上でさばきにかかる。
予想どおり、脂ののりが半端でない。
不謹慎化もしれないが、あえて申せば、
その昔、戦国時代、人を切ると、
刀が脂で切れなくなるとの事で、
かの宮本武蔵は、替えの刀を何本も用意していた、
との話が伝わっている。
まさに今、まな板の上にある鰯たちが、その脂まみれだ。
2匹も捌けば、いったん、
包丁を洗剤で洗わなければならない。
でないと、手がすべって、危ない。
ギトギトを通りこし、ヌチョヌチョ。
さてその鰯、6匹。
2匹を刺し身にし、2匹を琉球にし、2匹を塩焼きにした。
つごう6匹を腹におさめ、
ゲフッ
皿に残った鰯の骨をながめながら、
冬の夜のひとときを過ごしている。
普通は、こういう時、感慨という単語を使うものだが、
なぜか私の頭には、
残骸にみえる鰯の頭と骨がまだ食えるかどうか?
そのことばっかりで占められている。