
1996年の初夏、《世界の車窓から》が10年目の年に、
私は、中国に旅をしている。
車窓スペシャルとして、旅人は石丸ひとり。
奥地深く入り込み、客家(はっか)という小さな村をたずねた。
そこは・・・
円筒形の3階建ての建物で、入り口はひとつ。
北京オリンピックの時の、開会式のスタジウムに似ている。
ぐるっと取り巻く数十の部屋があり、
それぞれの家族が暮らしている。
土壁そのものが敵から守る城壁になっていて、
中に入ってきた敵は、打ち取られやすくなっている。
真ん中に、お祈りをささげる廟があり、
ささやかだが広場では、子供達が遊び、
豚やガチョウが放し飼いになっている。
その昔、アメリカの人工衛星が宇宙から、
客家の建物を発見した時、
弾道ミサイルの発射孔だと誤解したことがあったそうだ。
客家出身の人たちは、努力研鑽の果てに、優秀な人になり、
世界に羽ばたいていったそうである。
さて、その客家の長老にインタビューをこころみた。
と、簡単に述べたが、そう簡単にはいかない。
なんせ言語が、違い過ぎる。
通訳が3人要ることが分かった。
つまり、私→北京語→広東語→現地語。
→の度に、ひとり通訳の人間が要る。
通訳が訳すにつれ、意訳されるのは、常である。
最も難しい伝言ゲームと言えよう。
かくして、その会話が始まった。
「どのくらい前からお住まいなのですか?」
(3分後)
「周恩来(しゅうおんらい)も客家です」
「この料理は、なんですか?」
(3分後)
「子供達は外の世界に行きたがりますが、
豚を大切にします」
「この不思議な住居は、この先続けそうですか?」
(5分後)
「便所はアッチだよ」
