
ふと・・《自粛》という言葉を考えてみた。
コレって、《我慢》じゃないのか?
「自粛してください」とは、
「我慢してください」じゃないのか。
「我慢しなさい」
その昔、母親が、けんじろう君に、目の力で語りかける。
休みの日になると、けんじろう君は、
山だの海だの、ひょいと出かけると一日帰ってこない。
ドロドロになって帰ってくるなり、
その日に山の中で採取してきた山芋だの、アケビだの、
食えるモノを、差し出す。
うむ、そこまではいい。
そのあと、興奮のあまりバタンと倒れウップすのである。
ウップすとは、寝込むの意だ。
体力が尽きたのである。
親としては、毎週おこるこの状態をほおっておけない。
そこで、先ほどの言葉が蘇る。
「我慢しなさい」
休みの日に山に分け入るのを我慢しなさいと、
子供にも分かるように示唆している。
その時だった。
同じ言葉を父親がかけてくる。
「我慢しなさい」
日曜日になると、決まって釣りに繰り出す父親。
付いていくのは、次男坊のけんじろう君。
朝の4時に起き、スクーターの後ろにしがみつき、
大分県のリアス式海岸の入江に向かうのだった。
ハゲ釣りである。
関東の言い方では、カワハギ釣り。
これに夢中になった。
小学3年生が、そのトリコになる。
毎週毎週、カワハギを釣り続けた。
すると、さすがに父親がある日、ポツリ・・
「明日は、我慢しよう」
釣りに行くのをやめよう、とつぶやいたのだ。
年端もいかぬ子供に、この言葉は理解不能。
しかしである・・・
父親は、「我慢しよう」と言った。
今にして思えば、我慢という言葉を選んだ意志に注目したい。
何かといえば、「我慢」という言葉を使った両親。
特に、けんじろう君に向かって使いたがったふたり。
思い返せば、ふたりの思いは正しかった。
我慢が足りない次男坊を何とかしようと、
常日頃から、作戦を練っていた節がある。
その作戦名が、《我慢》だったのである!
人によって、我慢しやすい人と、しにくい人がいる。
しにくい人に属したけんじろう君は、
大きく成長しても、しにくいままだった。
両親の作戦が失敗した例とも言えた。
しかし、いまこそ我慢という資質を、
獲得するべく日がやってきた。
そして、この言葉を御旗に立てて生きている。
《積極的な我慢》

穂高連峰 岩場