《舞台三原則》を知っておられようか?
何にでも三つの原則があるように、舞台にもある。
場所 役者 観客
場所とは;劇場のこと。
はるか昔のヨーロッパでは、コロセウムとも呼ばれ、
石で造られた扇形の青空劇場であった。
日本では、雨が多かったセイか、
大きな集会場的な舞台がメインとなった。
役者とは;説明するまでもなく、演じる者。
セリフがあろうが、ただ踊るだけだろうが、
楽器をかき鳴らそうが、人前で、役を演じる者がいた。
観客とは;観る者がいなければ、何をしても無である。
観客の存在は、舞台のすべてと言っていい。
たとえ、どんな素晴らしいパフォーマンスがあろうとも、
誰も観ていなければ、意味がない。
ゼロの世界である。
我らが舞台をする時に、まず場所(劇場)を確保する。
次に、役者を確保する。
しかし、観客の確保は、未来予想に過ぎない。
よもや、今の状況、つまり
《無観客》興行とは、
すでに《舞台三原則》から逸脱している。
では、なぜ、それでも、舞台をやろうとしているのか?
答えはある。
《維持》
エネルギーと発想の維持である。
湧きいずるモノを維持していなければと云う、
矜持を持ち続けている。
《湧きいずるモノ》とは、
子供が母親に、「やめなさい」と言われても、
我慢できずに、どうしてもやりたい事が湧きあがり、
人前で見せてあげたいと思う衝動である。
なんか分からんけど、踊ってしまうアレである。
気づいたら、くだらない事を大声で喋っているアレだ。
誰にも理解して貰えない絵をつい描いてしまったソレ。
この
衝動は工場のエンジンに似ていて、いったん止めると、
再始動に時間がかかる。
時間で済めばいいのだが、再始動できなくなる恐れもある。
今、起きている現象は、まだ再始動できない程ではないが、
一年後にどうかと言われると、ハテナ?
首を傾げるかもしれない。
しかも・・・役者諸氏は、
仕事がないのは自分のセイ、という育ち方をしてきた。
こんな時でも、決してウイルスのセイにしない。
ある意味、心優しき人種である。
「待つのが仕事」とも言われてきた役者たち。
いつまで待てるか、試されているような気がする。