《カラ付き落花生》つい買ってしまった。
つい、と言い訳のように言ったのは、落花生に怯えているからだ。
落花生、ピーナッツを食べると、鼻血が出る。
昔から、鼻血が出た理由をたどると、落花生にたどりつく。
ゆえに、落花生を買わないように努力していた。
なにも買う買わないで、努力する必要はないのではとの意見は、
あるのだが、努力しなければ、
落花生の魅力にあらがえないのだ。
あやつは、喰い始めたら、どん底までも喰い続ける魔力がある。
だから、おおもとを絶つ意味でも、
「買わない!」という努力が、要る。
なのに、買ってしまった。
さて、私は今、あるマシンを背後に置いてある。
落花生を喰らいながら、あとでそのマシンを使おうと配置してある。
それは何でしょう?
ヒントは、そのマシンがあるおかげで、
カラつき落花生を食べる時のわずらわしさを薄めることができる。
アナタに問いたい。
からつき落花生を食べるのは好きですか?
ボリッとカラを割り、中身をいちいち取りだす。
カラなしがフンダンに売られている昨今、
あえてカラつきを食べる理由は何だろう?
「めんどくさい事をしたい」
食べるという行為が単純化された現代において、
わざと、メンドクサイ行為をして、モノを食べたい。
だけども、火を使ったり、ゆでたりのメンドクサイのではなく、
単純に、ちょいとメンドクサイ行為で、モノを喰いたい。
その答えが、《カラ付き落花生》なのだ。
そしてその行為の結果、
自分の周りにフンダンにぶちまけられるゴミとしてのカラ。
薄皮まで含んだカラゴミが、散らばる。
食い物の残飯としての散らばり方としては、
最大のみっともない散らばり方をする。
子供では、とても収集のつかない散らばり方をする。
大人でも、粉まじりの落花生の粉々感は、掃除しがたい。
そう掃除の問題が、常に頭に浮かびながら、バリッ、カラを割っている。
そこで、登場するのが、さっきから背後に待たせている、
掃除機だ。
いつでも実力を発揮できるように、コンセントにつないでいる。
奴は、今床にばらまかれた粉々のカラを吸い取ってくれるだろう。
ということは、ズボンだの、衣服だのに付いた薄茶色のカラを、
思いっきり手で、パンパン払ってもいいワケだ。
むしろ、カラをバリッと割りながら、
そのまま床に落としても構わないワケだ。
掃除機の吸い取り能力に期待して、
バリバリ割りながら、胸にもズボンにもカラをこぼしながら、
思い切りぶちまけてもいいワケだ。
世の中には、落花生のカラを、
床に自由に落として食べていい飲み屋があるじゃないか!
私は、富士山を眺めた時の感想に、
井伏鱒二が語った言葉をマネて語ってみたかった。
「落花生には掃除機がよく似合う」