年末に、靴下置き場をゴソゴソと掃除していたら、7つの片方だけの靴下が見つかった。
靴下というのは、不思議な衣服である。
なぜか履いた靴下は覚えられている。
一度でも履いたら、その記憶が残る。
もっとも、真っ黒とか真っ白のモノは、記憶に残らないが、
とくに特徴のあるデザインでなくとも、覚えられている。
だからだろうか、見つかった7点。
知り合いである。
私の足を、一度ならずとも守ってくれた包みだ。
ところが、その片方がどこかに居なくなった。
探す場所がないので、確実に紛失したと言っていいだろう。
どこかで行き倒れているに違いないのだが、
私の場合、無くなる確率が高い。
キャンプなどで、コインランドリーをよく利用する。
終わった後の取りだしで、マシン内にへばりついて、
取り残す可能性がある。
実際、たまに確認すると、へばりついていた片方の靴下を発見する。
「ほお~こうやって失踪するのか」
感心したものだった。
靴下としては、感心されている場合じゃない。
いっそ両方失くせば、心騒ぐこともないが、
片方だと、「失くした」感があふれ、かなしい想いになる。
とくに、好みの靴下が片方だけになっている姿を見ると、
思わず握りしめたくなる。
そして、最大の悩みは、この始末である。
「いいのか・・捨てても!」
もし捨てて、どこかから片割れが出現した時に、
おおきな反省が生まれるのではないか?
「ああ~とっておけばよかった・・」
それよりなにより、一度は足を守ってくれた靴下であり、
まだ現役バリバリであるのに、放棄するのか?
働き甲斐があまりなかった靴下人生に申し訳ないではないか!
ではどうするのがいいか?
最後に、一度働いてもらうと言うのはどうだろう?
片方づつを一組集めて、履く。
履き終わったら、「ごめんね」と敬意をこめて、
ゴミ箱に入ってもらう。
ラストワーク。
この考えが気に入り、年末、仕事以外で出かける際、
それぞれに(足なんだが)手を組んでもらった。
組となった靴下を一日履いていた。
夕方、風呂に入るまえに、脱いで、目の前のゴミ箱に入れようとした。
うぅぅ・・・
ど・どうしてもゴミ箱に入れられない。
最後の役目を果たしたあと、汚れたままでお別れをするのがしのびない。
握りしめた靴下を、そのまま洗濯機の中に放り込んだ。
回した。
干した。
うぅぅ・・捨てるのがしのびなくなった。
しかして、床に並べたモノが冒頭の写真である。
そして宣言をしたのである。
「こころならずも別れ別れになった君たち、働きたくとも、
その想いかなわず、こころざし半ばで、旅立とうとしている。
しかし私は君たちが好きだ。
片方になったからと言って、なに恥じることがあるだろうか。
私は君たちを、み捨てることはない。
むしろ、私についてきてくれ。
そして、7番目(右端)の君。
少し待っていなさい、さすればいずれ相い方が現れる。
その時、わたしと共に歩いてほしい、文字通り。
わたしには君たちが必要だ。
今は、家のご近所だけで過ごしてもらっているが、いまにみてろ、
どこにでも君たちと共に打って出る覚悟だゾ。
ただし、身体にだけはくれぐれも注意してほしい。
とくに袋の入り口がボロボロにならないように注意しておくれ」