子供の頃、父親には「日本酒を呑む」という習慣があった。いわゆる晩酌である。
燗つけ器という取っ手のついたアルミの容器に、
一升瓶から日本酒を注ぎ、ヤカンの中に浸す。
数分たつと、良い湯加減になるそうで、
けんじろう君は、時折その係りを仰せつかった。
しかし、燗つけ中に近寄ると、熱を加えた酒のにおいが、
鼻につく。
むせるような、やな臭いである。
吐きそうな臭いと言えなくもない。
「お燗ついたヨ」
アルミから、お銚子と呼ばれるモノに酒を移し替え、持ってゆく。
この移し替えの時に、さらに臭いが鼻の奥に、突き刺さり、
おえっとなる。
こんなモノを呑むのか?
それも、いとおしそうにお銚子から小さな盃に注ぎ、
じゅるっと、音を立てて呑んでいる。
子供には、飲み物も汁モノも音を立てて飲むなと叱るくせに、
自分は、じゅるじゅると、ことさら音を立てている。
たぶん、わざとだ。
「あ~~~」
顔を斜めにため息をつき、アゴを突き出したりしている。
目の前にあるカワハギの刺し身を箸で摘みあげ、
ヒョイと口に放り込む。
「あ~~~」
さらに顔を傾け大げさにため息をつく。
あれも、たぶんわざとだ。
「あ~~うまいなぁ~」
刺し身がうまいのか、酒がうまいのか、わからない。
少なくともカワハギの刺し身は、ご飯で食べた方がうまいハズだ。
ボクはその方が絶対うまいと思う。
あんな臭いの酒で食ったって、旨いハズがない。
年に何回か、我が家に社員が集まる時があった。
年始には大勢があがりこんで、宴会がひらかれた。
当然のように、燗つけ器が活躍する。
台所には、あの匂いが充満し、運び役のけんじろう君が、
廊下を走り回る。
ワイワイ騒いでいる部屋に入ると、ムッとする臭いに頭がクラクラする。
全員が、あの臭いを発している。
延々続く、臭いとのたたかい。
そこで、けんじろう君は首を傾げた。
臭いは酷いが、味はどうなのだろう?
お銚子を運ぶ途中、廊下の隅で、
鼻をつまんでチビッと口に入れてみた。
おえっ
臭いもひどいが、味はもっとひどかった。
日本酒に対するこのマイナスの想いは、
その後、30歳を過ぎても変わらなかった。