長年登山をしていると、非常に稀有な日がある。人がいない・・・
そう、一日中、誰にも会わない日がある。
しかし普段、人と会わない日など、滅多にない。
滅多どころか、ほとんどない。
ほとんど、どころか、決してない。
決してどころか、絶対ない。
ない、ない、ない・・・
ないという意味を突き止めると、
山では、誰かに出会う。
狭い日本では、かなりの確率で、人と出会う。
今日こそ登山者に出会わなかったと感慨深かった夕方、
登山口に置いてある車までの最後の最後に、
山道を工事している方と、バッタリ出会ったりする。
会いたくなかったワケではないのだが、
残念な気持ちが湧いたのは確かだ。
この数年間で、誰にも会わずに登り帰ってきた山は、二つしかない。
100分の2という確率である。
その一つは、鳥取県の《蒜山》ひるぜん。
ただし、大雨の中を登った。
そんな日に登る人がいなかったという結論であり、
確立に入れるかどうか・・
もう一つは、群馬県にある、
《笠丸山》かさまるやま
アクセスも遠いが、あまりにもひっそりしていた。
おそらく、岩場と登山道の危険性で、人が近づかないのかもしれない。
とはいえ、岩場のスリルと落ち葉が大量に溜まっている山道は、
なんとも気持ちがよく、何度でも行きたくなる山だ。
中でも、腰まで埋まるような落ち葉は、
《落ち葉のラッセル》を味わせてくれる。
また、ホウの木が大量にあり、《ホウ葉のラッセル》も楽しませてくれた。
これほど落ち葉があるのは、笠丸山に生えている樹木が、
ほとんど落葉樹だからである。
杉やヒノキの植樹も少なく、針葉樹がわずかしか生えていない。
ゆえに、葉が落ちたあとの木々の間に陽の光が差し込み、
山全体は明るい。
山を淋しく感じるのは、人がいないからではない。
山そのものの表情にすぎない。
淋しくない山が、やっぱりいい。