性懲りもなくイノシシを喰っている。今使った言葉は秀逸である。
《性懲りもなく》
自身の性格を、正確に表しているかもしれない。
イタリアンに猪を使い、中華に猪を使用し、
これでもか、これでもかと、イノシシざんまいの日々を送っている。
いや送っていた。
昨日、ハタと気づいたのだ。
アレを忘れているじゃないか!
和の料理の究極とも云える食べ方だ。
《イノシシのすき焼き》
すぐに、スーパーに走った。
まず、《突きコン》をカゴにいれる。
突きコンとは、コンニャクの白い糸コンより太く、
コンニャク色をしていて、
すき焼きには、無くてはならない必需品である。
次に、《焼き豆腐》
不思議なことに、私の場合、焼き豆腐はスキヤキの時しか、
買い求めない。
なのに、スーパーの売り場には、必ずある。
すき焼きをやろうと思い立ち、豆腐売り場に足を運び、
焼き豆腐が無かったことがない。
必ず、置いてある。
たとえば、今、必需品と豪語した《突きコン》が無かったことがある。
売り切れたのか、誰かが買い占めたのか定かでないが、
無かった。
しかし、同じ条件なのに、《焼き豆腐》がなかった事はない。
もう一度、確認するが、私がスキヤキをしようと発奮した日の、
スーパーに必ず有ったという確率だ。
話を次の食材に進めていいだろうか?
このまま進めると、アナタの出勤時間に近づいてしまうので、
短縮してお話を進めよう。
白ネギ、白菜、キノコ、ときて、コレを追加する。
《ダイコン》
大根のそぎ切りが、すき焼きの後半戦をしめくくってくれる。
肉やらなんやらを充分食べた頃、茶色に染まった大根が残ってくる。
すべてのエキスを吸い込んだ塊りが柔らかくしなだれている。
大根の食べ方の最高傑作だと、私は呼びたい。
「それはおでんでしょ」
というアナタの意見もあるでしょう。
しかし、おでんにおける大根に欠けているモノがある。
それは、甘さ。
すき焼きの大根は甘さという武器がある。
子供も大人も大好きである。
さらに良きことに、早いうちに食べると苦みが残っているので、
最後の最後まで大量に残されている。
「待ったかいがあった」と、腕まくりし、
すき焼きの仕上げにかかるのである。
もっと言えば、わざと多めにすき焼きをつくり、
翌朝まで残すことがある。
こうなると、主役は完全に大根となる。
大根役者が主役を射止めるのだ。
脇を、崩れた豆腐だの、肉の破片だのが固めている。
この立場の逆転には、誰も異を唱えない。
シャモジでズブリと掬いとり、熱々のご飯の上に汁だくで乗っける。
こうなると昨夜の宴の余韻ではなく、
新たな劇場の開幕である。