以前から、山登りの筋肉に関して、おおいなる疑問があった。《登り》と《下り》で違う筋肉を使っているのではないか?
あるいは、使い方が違うのではないか?
ある意味、50年以上考え続けたテーマとも云える。
《山の呪い》と呼んでもいいこの登りと下り。
誰も解き明かしていないのではないか?
山を登るのは、ツライ。
たとえば、1000mの登りは、かなり筋肉を苦しめる。
心も折れる。
それでも、だまされ、励まされ、なんとか頂上に達する。
そこまではいい。
問題は下りである。
下りは、だまされもせず、励まされもせず、ただ淡々と下る。
登ったのと標高差は同じなのに、物凄く長く感じる。
「え~こんなに登ってきたの~?」
誰もが同じ言葉を吐く。
そして、下りきったアト、身体は悲鳴をあげる。
下半身はグダグダ。
腰もキシキシ。
恐らく下りさえなければ、登山は疲かれないのではないか?
とさえ、思われる。
とあるテレビ番組で実験をやっていた。
A:山に登り、ロープウエイで降りてくる
B:ロープウエイで登り、歩いて降りてくる
実験の結果、Aの方が、疲労度が圧倒的に低かった。
つまり、下りとは、疲労の蓄積が多い。
では、なぜか?
「下りは疲れる」
この命題を長年考えていた。
その答えとして、私なりに発言してみた。
《人間は下るように筋肉が発達しなかった》
猿から私へと進化したと信じている私としては、
こう考えるのである。
二足歩行で、坂道を下る訓練が足りなかったのではないか?
大分県の、猿園として有名な高崎山の猿たちを観る機会がある。
樹から降りるとき、坂道を下るとき、
いずれも、四足歩行で疾走する。
せっかく、「立ち上がる」という、
未来形の歩き方を手に入れかけたにも拘わらず、
下りでは、四足歩行なのだ。
残念・・・
いやいや残念とかそういう事ではなく、
彼らが、下りの筋肉を手に入れたがらない習慣が、
現在の我らの、《下り不得意な筋肉》を育てたと言えないだろうか?
ってなことを考えていた時だった。
新年最初の、NHKラジオ《山カフェ》のお客様、
《草刈民代》さんが、いみじくも、驚きの発言をしてくれたのだ。
う~~んと、この話は長くなるので、又明日。