つい最近、86才の女性と87才の男性にお話しをする機会があった。別々にお会いしたのだが、いずれも市井の方である。
特に、女性は田舎のお婆ちゃんである。
お二人とも、かくしゃくとして、人生を現役で過ごしている。
「ちぃと歩くのが遅くなった」
と言い訳をしているが、遅くはない。
喋りも達者で、聞かれた事にすぐ反応すると言う事は、
耳も、問題ない。
階段も気持ちよく昇り降りし、よく食べる。
こういう方にお会いした場合、常に出る言葉、
「お元気ですねぇ~」
そして、よく喋り、周りの事がちゃんと分かるという聡明さ。
そこに我々は、感動しているのだが・・・
ちょっと待てよ?
ボクらはこう考えていないだろうか?
《お年の割に、お元気だ》
お婆ちゃん、お爺ちゃんが、びっくりするほどお元気に喋る姿に、
ただただ感動している。
ところが、今回、お二人にお会いして、目ウロコになったのだ。
お二人は、自己主張だけをするのではない。
周りの人の話を普通に聞いている。
「人の話を聞く」という当たり前の生活をしている。
若い時は当たり前の、「人の話を聞く」という生活は年と共に薄れていく。
特に高齢となれば、こんなシーンをしばしば見かける。
「お婆ちゃん、今日はどこに行ったんですか?」
『あんネ、アンタのとこに猫いるかい?猫に名前つける時はネ』
一見、キビキビした喋りをしているのだが、人の話は聞いていない。
人の話を聞くというのは、ある意味難しい作業だと分かる。
お年を召すとよけい難しい。
「若いですねぇ~」と羨ましがれ、憧れまでされる年配者とは、
自分の主張ばかりするのではなく、
《人の話をちゃんと聞ける人》なのかもしれない。

とある小学校跡に建つ 二宮尊徳の像