キャンプ場でピアノを弾いている。オートキャンプ場に幾度か行った事がある方なら、
それぞれの区画に、電源が設置してある所をご存じかもしれない。
地面から立ち上げた箱のようなモノに、コンセントがあり、
雨が降っても、利用者がそれなりのコードを持っていれば、
問題なく使える。
100ボルトなので、たいがいの電化製品は使える。
そうなると、本来のキャンプにソグワナイ物まで持っていくことになる。
トースターや、冷蔵庫、はては電子レンジすら持ち込んでいる車もある。
特にレンジがあれば、冷凍物までなんとかなるので、
もはやキャンプを楽しむという原点から、随分外れる。
ならば、電気楽器も持ち込まれるだろうと、
10年ほど前に予想していたら、
予想した本人が持ち込んでいるではないか。
幸い、ヘッドホンをしているので、外部に音は漏れない。
漏れれば、音ではなく、騒音である。
美しいメロディを奏でてさえいれば、それなりに鑑賞できるが、
へたくそなピアノほど迷惑なものはない。
特に、完全な初心者ならば、何の曲の演奏かも分からないので、
まだ、無視できるのだが、
なまじっか練習を重ねて演奏できるようになると、これがいけない。
聞いたことのある曲が聞こえている時に、
途中で、音が調子っぱずれになると、カクンとなる。
それが何度も続くと、「いい加減にしてくれ」となる。
この変則状態に似ている例えがある。
それは、自動車の運転。
ヘアピンカーブなどが続く道を、車で走る。
運転者は、どんなにヘアピンだろうが、酔うことはない。
しかし、同乗者は油断していると、すぐに酔ってしまう。
この理由が、ピアノのへたくそ演奏に似ている。
未来予測が成り立たない行動をとっている時に、
自らが動きを主導している場合には、気持ちが悪くならない。
それに対し、他人の動きにほんろうされている時には、
身体の器官が音を上げる。
いま、音(ね)をあげるという言葉を使った。
ようは、耳に関する部分が問題となる。
車で酔うのは、三半規管が正常に働かないからだ。
三半規管は、耳にある。
一方、音楽も耳で聞く。
つまり、私がヘッドホンを付けて電子ピアノを演奏していて、
その調子っぱずれに腹が立たないのは、
自分でヘアピンカーブを運転しているのと、
同じ状態にいるからなのだ。
この強引な理論武装のおかげで、キャンプ場で平然と、
ピアノを弾いていられる。