~昨日の続き~
役者として希代の不可思議さをふりまいていた若松武。
50年ほどまえの話である。
真夏のある日、私と二人で、
千葉県は房総半島の御宿の砂浜にいた。
海辺の草むらにテントを張り、数日ゴロゴロしていたのである。
何をしに行ったのか覚えていない。
単なる衝動だったのだろうと考えた方がいい。
海水パンツを履いただけの格好で、海で泳いだり、
砂浜に砂の彫刻を作ったり、遊びには事欠かなく、
飽きるという言葉はなかった。
ワカ(当時ワカと呼んでいた)は、
美術学科に3年遅れて入学してきたので、私より3歳年上。
しかし、同い年のような気さくさで、タメ口の仲間であった。
まだ役者の卵とすら云えないような存在の我らには、
真夏の光は、青春を謳歌するには、まぶしすぎる。
毎夜毎夜の暗澹たる都会の生活から逃げ出した一瞬、
だったような気がする。
二日目には、人がいないのをいいことに海パンすら脱ぎ捨て、
素っ裸の日光浴。
夕方、全身が真っ赤に腫れあがった。
特にワカの赤さは異常であり、その夜、ブルブルとふるえ始めた。
「寒い寒い・・」
今考えれば、日射病にかかっていたのだと思われる。
普段からアルバイトで夜の仕事にあけくれ、日中は寝ている生活。
それが、突然炎天下に全身を晒したのだから、無理もない。
「病院行くかい?」
「いや、お金も保険もないからいい」
またもや同じ言葉を吐く。
翌日も苦しみ続け、テントをたたみ都会へ舞い戻った。
その後、彼は震えながら飲み屋のカウンターに立ち続けたのである。
っと話がここで終わればよかったのだが・・・
二週間後、ワカから連絡があった。
「前歯を10本抜いたら、熱が出た」
前から反対アゴを気にしていた。
下の歯が上の歯より前にあるのが嫌いだったのである。
歯医者に行き、抜いてくれと願ったそうだ。
義歯にしようと目論んだのである。
それは構わないのだが、一度に歯を何本も抜くと体に悪い。
医者に注意されたのに、そこは猪突猛進男、
とにかく時間がないと突っぱね、短期間で抜いてしまったそうな。
するとどうだ・・・
当然とばかり、体が不調になった。
高熱が出た。
歩くのもままならなくなった。
心配して、働いている店に行くと、カウンター内に立っている。
「大丈夫なのか?」
「しかたない」
「歯医者以外の病院には行ったの?」
「行くと保険がきかないからお金をとられる」
「そうか・・・」
この会話以後二人の間で、この言葉が多用されることになる。
「そうか」
なにかあると、「そうか」とつぶやくことで、
心配事や、困りごとをやり過ごすのである。
「そうか」と口に出したところで、何かが解決する訳ではないのだが、
時間が解決してくれるような気がしたのである。
彼の訃報を知った今、
やり場のない哀しみを、その言葉に託している。
「そうか・・」