登山好きにとって、計画を立てている時間は至福である。次の土曜日には、あの山に行こう。
電車の中で、会社のデスクの前で、ふと思いは山にとんだりする。
時に、紙に書いて計画を立てる。
・どの山に登るか?
・どのルートにするか?
・持っていくもの
・食べるモノ
・帰りにどこに寄るか?
登山計画とは、楽しくて仕方ないモノである。
昨年の秋から山に登り始めた友人の、チョクに至っては、
計画が前夜までおよび、そのまま眠れないのである。
だから、朝4時に集合でも2時に集合でも構わない。
ヘタすると前夜発にしたい情熱が伝わってくる。
本来、遊びの計画は楽しくて当たり前なのだが、
よくよく考えれば、キツい部分も計画しなければならない。
たとえば・・・
野球が好きで、明日試合があるという時の計画は楽しい。
しかし、明日厳しい練習がある時はどうだろう?
練習や稽古は、キツい。
スポーツの練習には、5%の楽しみと95%のキツさが待っている。
これは山とて同じかもしれない。
厳しい山に登るのはキツい。
「登り4時間、累積標高差1400m」と案内書にあれば、
相当の苦しさがつきまとう。
最低4時間、ハァハァを繰り返さなければならない。
登っても登っても、先が見えないのは、かなりの苦しさのハズ。
ここで素朴な疑問が湧く。
この計画を立てている時に、喜びが湧くのだろうか?
答えは・・・
湧くのである。
山が好きな人たちは、登りの苦しさはみんな知っている。
なのに、「そこは忘れるように」、脳に信号が送られる。
楽しい部分だけに焦点を合わせるように、指令がくる。
人は、「苦しい事は、忘れよう」と脳が働く。
その作用が、山登りの場合、顕著に感じる。
結果、計画中には、厳しい部分をスル―するのである。
だからだろうか、いざ当の山の登山口から登り始めて、
10分ほど経ったころ、大汗を噴き出しながら、つい・・
(なんで来ちゃったんだろう)
つぶやくのである。
とはいえ、最初の30分が最もツラく、
その後、身体が慣れてくると、快調になるのだが・・・
そして山から降りてくると、キツかった記憶はどこかへ行ってしまい、
帰りの車の中で、次なる山の計画が始まる。
いにしえのコトワザは正しかった。
《喉元過ぎれば・・・》

アイゼン跡