パソコンやスマホなどの、アドレス、パスワードが、大量になっている。
それらを作成しなければならない状況になった時に、
スラスラと作ってしまったモノだ。
スラスラと言ったが、実はほとんどが、
友人や知人にお願いして作成された。
分かり易いアドレスに、覚えやすいパスワードに過ぎない。
しかし、それも数が増えてくると、覚えやすさがアダとなる。
似たようなアドレス。
似たようなパスワード。
どれがどれやら、何が何やら・・・
そこで、友人のツッシーの提案で、冊子をつくり、
すべて書きだす事にした。
すると出てくるは出てくるは、10じゃきかない数のアドとパス。
パスワードに至っては、分からないモノもいくつもある。
(作り替えなければならないかも)
あまりと云えばあまりである。
もしこの冊子を失くした場合。
家や車のキーを失くした時と同じ面倒が起こるだろう。
その昔、自分で書いた言葉を思い出す。
《便利になるほど不便になる》
これは、「完全を求めるとアクシデントに対応できない」と言う意味だ。
本人が完全な人ならば良いのだが、
そうでもない私なんぞは、すこし不便なくらいが、
暮らしやすいと云える。
アクシデントが起きてもなんとかなるような気がする。
たとえるなら、
たった一つの文字を思い出せなくて、家に入ることができない。
たった一つの数字が思い出せなくて、車を動かせない。
しかも、それらを知られると、さらに多くのマイナスが起きる。
世の中が便利に向かう方向性は、間違ってはいないのだが、
たまたま高齢化に進んだ時代だった事に、不安を覚える。
っと言いながら、テレワークの為に、昨日も新たなアドとパスを作った。
同じモノを使い回しているのだが、覚えられない事に変わりない。
「冊子に書いておけばいいでしょ」との助言には、こう応えよう。
《書いた冊子をどこに隠したかを書いたメモが、どこにいったのか?》
ホシガラスという山の中にいる鳥がいる。
松ボックリをエサとして、ボックリの中の松の実を食べる。
彼らは、そのボックリを咥えては持ち去り、山の中のアチコチに隠す。
岩の隙間だの、地面のくぼみだの。
そしてそのいくつかの場所を忘れる。
すると、そこから松が芽を出し、あらたな松の木が生える。
うまく出来ている。
そう彼らは、忘れるように進化したのである。
メモを探している私とホシガラスの違いはあるだろうか?
ホシガラスは隠した場所が分からなければ、さらに松ボックリを獲る。
しかし私は、メモが見つからなければ、それで終いである。
ホシガラスの方が優秀と言えまいか・・・
乗鞍岳で、松ボックリ採集に明け暮れるホシガラスたち