苗場山池塘
墨絵を描いている。
スケッチブックに描いている。
墨でスケッチブックに描くと、失敗したからと云って、
一枚だけ、破り捨てる訳にはいかない。
そんなことをしていたら、スケッチブックでなくなる。
失敗は受け入れなくてはならない。
でも、今の所、大きな失敗はない。
いや、失敗しても破り捨てない覚悟が、助けてくれている。
墨絵とは失敗しやすい。
白い部分は、「残す」という作業になる。
残す部分に一滴でも墨を落してしまうと、消すことができない。
たとえば、〆という記号を描くとする。
〆がうどんだとして、立体的に描く場合、
白い麺が白い麺をまたぐ部分ができる。
白い麺の線を間違って両方描いてしまうと、
麺の前後がデタラメになる。
やっちまったと気づいても遅い。
もっと複雑になるのは、「湯気」を描く時だ。
もやもやとあがる湯気。
白を残してゆく。
残してばかりだと、ただの白い画用紙となる。
そこで、湯気の向こうに透ける物体を描いていく。
この塩梅がむつかしい。
何を残し、何を描くのか?
常に、頭の中でできあがりを想像していなければならない。
墨絵において「白を描く」とは、
「光を描く」という、矛盾した行為に踏み込んでいる。
漫画であれば、光を線で表せる。
(べつにコダワリがあるワケではないのだが)
なんとか線を使わずに表せないものかと、
工夫している。
ああやったり、こうやったり、この一年、
《見えない光》と格闘している。
阿寒富士とコマクサ