「肉は、塊で焼いた方が旨い」よく言われる言葉である。
肉汁が閉じ込められるという意味なのだが、
いざ焼くとなると、難しい。
普段から何度も何度も焼いている、店の方ならともかく、
滅多に固まりなど焼かない人達には、どうしていいか分からない。
フライパンなのか、オーブンなのか、火の強さは、時間は?
ほとんどカンの世界に突入してゆく。
カンが働かない作業に、カンを持ち込まなければならない。
それでもチャレンジしたい人は、
「なんとなく」というカンを養おうとする。
「失敗は成功の元」という古のコトワザに頼り、
恐れずに、肉塊焼きをしてみる。
(まあ、失敗してもマズかろう筈がない)
という焼き物にたいする信仰もある。
とまあ、ここまではいい。
個人の自由だから。
しかし、大きな肉塊は1人では食べきれない。
必ず誰かが犠牲になる。
つくる本人は、誰かを犠牲にしようなどとは、つゆ考えていない。
むしろ、奉仕の精神だとさえ思っている。
「美味しいモノを、食べてもらうのだ」と意気込む。
そしてソレはできあがる。
肉を焼くと、どう焼いても、かなりの良い匂いがする。
見た目もまあまあである。
ところがいざ食べるとなると、中身がパサパサか、コチコチか、
それともジューシーかという分かれがある。
《山は登ってみなけりゃ分からない》という本を書いたのは、
私だが、
《肉は焼いてみなけりゃ分からない》ものである。
犠牲者は、たとえパサパサでカチカチだったとしても、
この言葉を無理強いされている。
「おお~旨いねぇ~」