オリンピックとは、《殺し合いをしないですむ唯一の、仲直りの方法》
だと思っている。
オリンピックが始まって、たかだか一世紀ほどに過ぎない。
数千年の戦さの歴史の中では、つい最近の話である。
人類がやっと見つけた《仲直り》の手方だと言えよう。
子供の頃、《仲直り》は難しかった。
たかが、弁当の悪口を言われただけで、
それまで仲の良かった友達と口を利かなくなる。
嫌いではないのに、仲直りの方法が分からない。
結果、仲の良かった人ほど、犬猿のヒトとなってしまう。
やや大人になっても、実につまらない事で、
にらみ合いになってしまう。
たまたま二人の間を繋ぐヒトがいなかったばかりに、
生涯の敵にまで発展してしまう。
もっと大人になった時、
決定的な別れの時が訪れたりする。
それもやはり、お互いの誤解を正す仲介人がいない為だ。
つまりレフェリーがいない。
審判がいない。
ジャッジするヒトが居なかった為に、サヨナラがおきる。
オリンピックとは、完璧なるジャッジが存在する世界の時間。
世界が審判になっている。
世界中が見守ると云うひとときを、
《仲直り》の時間として捧げているのである。
どうします?
《仲直り》を失いますか?
それとも・・・・・