《食べられる建築材》が研究開発されている。目的は、食べられることではなく、
非常に硬い素材が出来る点にある。
コンクリーより硬いと発表されている。
その上で、食べようと思えば食べられるのだ・・と。
材料は何だろうか?
《野菜や果物》
捨てられている白菜やキャベツの芯や、果物の皮などを、
乾燥して圧縮すれば、とてつもなく硬くなるのだと研究者は言う。
sdgs(エスディージーズ)の時代には、様々な発想が生まれる。
さて、今から50年ほど前、大分県の大分市に我が家はあった。
平屋の借家なのだが、我々が住むのを最後に、
街の開発で取り壊すのだと云う。
ここで父親の頭に電球がともった。
5年間のシベリア抑留で、からがら生き延びたヒトである。
「風呂をこれで沸すゾ」
当時の風呂は、薪をかまどにクベルやり方だった。
その薪が手に入ったと父親は考えた。
「けんじろう、ノコギリを持ってこい」
庭から外に出るや、板塀に手をかけた。
ギ~コギ~コ
端から切り刻んでゆく。
一日に必要な量を切り出し風呂のかまどに運ぶ。
昔の家の周りをグルリと取り囲んでいる板塀は、
それなりの量があった。
特に、1,8m間隔に一本立っている柱は、
台風をもしのぐ為の太い建材であった。
ソレ一本で二日分の薪になる。
家の周りから塀がなくなるのに、3週間ほどかかった。
次に手をかけたのは、雨戸である。
裏庭に面する所から一枚づつ剥がしてゆく。
雨戸は薄っぺらいように見えて、なかなか頑丈で重い。
それなりの火力になる。
陽によく当たっているので、盛んに燃える。
考えてみれば、こんなモノが外周にあれば、火事の時、
類焼はまぬがれなかっただろう。
昔の消防士は、苦労したことが推し量られた。
雨戸は塀より短い日数で、消えていった。
気づいてみれば、外の道から丸見えである。
畳の上に置いたちゃぶ台で家族が夕食をしている姿が、
すべて見えている。
おおきな道に面していないとはいえ、電球の灯りに浮かぶ、
昭和の家族団らんが、生配信されている。
さて、この先、家族の行方やいかに?
紙面が尽きたので、続きは明日・・・