~一昨日からの続き~
外塀を薪にし、雨戸を燃やし、障子に火をつけ、
ネダにまで手をつけた、我が家の風呂事情。
さて次は何に手を付けるのかと、家族会議を開くのかと思いきや、
「お前にまかせた」
と父親が、次男坊を指名する。
家を薪にする作業を始めた時から、率先して加担していた私に、
白羽の矢が刺しだされた。
父親は、そろそろ飽きてきたらしい。
とうより、フスマを燃やすのがイヤだったと見える。
日本家屋を代表する内壁のフスマに、シベリア時代の苦みから、
ことのほか思い入れがあったようだ。
そこで、私の目線は・・・畳でとまった。
使っていない部屋がある。
畳は燃えるだろうか?
中身がぎっしり詰まっているし、かなりカサがある。
相当の燃料なのではないか?
試しにノコギリを当ててみたが、歯が立たなかった。
小刀の出番だ。
時代劇で、小刀をズブリと突き立てるシーンを思い出した。
といっても、我が家にある小刀(こがたな)は小さい。
畳の表面をブチブチと切っていくに過ぎない。
したがって、畳の解剖をしている感覚で挑んだ。
一枚の畳を分解するのに、小一時間を要した。
畳を造った方に敬意を表しながら、分解を楽しんだ。
ただし・・・
畳はうまく燃やせなかった。
かまどの中で、ずっとくすぶっている。
煙がもうもうあがって煙い。
「おお~い、火事じゃないのかぁ~」
呑気な声がかかる。
結果、二枚の畳をバラシたものの、燃料にできたのは、わずか。
では、ってんで、フスマの分解を始めた。
外枠は簡単に外れた。
アレは、薄板である。
その内側に、障子に似た形の堅い木材が、
いかにも頑丈に作られてあり、さらに、和紙が重ね重ねで、
張り合わされている。
ノコギリで切るのも難しく、鉈(なた)の出番となった。
家を切り刻むという場面として、当然出てこなければならない、
鉈(なた)。
チカラの限り殴り切るという定めを背負った道具である。
実は、子供の頃、両親にものすご~く怒られた想い出に、
《フスマのぶち抜き》がある。
年子の兄と暴れたあげくに、フスマに激突し、
大きな穴をあけるのである。
この時の叱られ方はハンパでなかった。
障子はさほどでないのだが、フスマは修繕の値段が、
破格に高かったのだろうと今になって分かる。
そのフスマを、鉈でぶち割り、切り刻むのであるから、
これほど心浮き上がる事はない。
当然、庭に置いたフスマに、大きな穴をあける所から、
ぶち壊しは始まる。
まずは、インディアンのトマホークよろしく、鉈を投げる。
ドスン!刺さる。
ところが、フスマはしぶとい。
思いのほか頑丈で、簡単に破れもしないし、切り刻めない。
和紙や新聞紙が重ね張りされている。
ところによっては、網のようなモノが入っている。
1日に2枚壊すのがやっとだった。
そして、フスマは簡単に燃えないのである。
かまどに放り込んでも、ブスブスを煙ばかり出て、
大きな火炎に発展しない。
湿気をしっかり吸っているのかもしれない。
フスマの風呂の日は、熱々の風呂とはならなかった。
「おお~い、ぬるいゾ」
父親の文句の声を聞きながら、明日は何を切ろうか?