同い年の友人から、出版された本が送られてくる。人生の中で、本を書く季節というものがあるのだろうか。
送られてきた本は、郵便物としてポストに入らなかったらしく、
宅急便で送られてきた。
分厚い。
よほどの人生の重みを伝えたいのか、厚さがハンパでない。
ハードカバーのその本をティッシュの箱の横に置いた。
背丈では競い合っている。
ついでに、体重計に乗せてみた。
相当の重量でなければ、デジタルが動かないソレに、
数字が見えるではないか。
ふ~む、読み始めるのが恐ろしく、迷った末に、
本の後の方をチラと見てみた。すると、
(人名索引)というコーナーがあった。
《あ》、からズラリと名前が羅列されている。
ペラペラとめくってみると、人名だけで9ページに及ぶ索引!
っと、そのあとに、(事項索引)が15ページに渡っているではないか。
もの凄い集大成!
そっと持ち上げ、広げずに上から俯瞰してみた。
この本には、付箋だの、ヒモだのというモノがない事が分かった。
つまり、休む時は角を折り曲げるか、自分で付箋を用意するか、
もしくは、「一気に読め」と示唆されている。
ハードカバーにはカバーが付いているので、剥がしてみた。
中から真っ白な本が出てきた。
最近の本は、カバーと中身が同じデザインのモノが主流だが、
この本は、お金をケチったのか、純白というイメージを与えたかったのか、
ただの白い表紙が現れた。
っとここで、私はもう一度、最後の方からページをめくってみた。
つまり、先ほど紹介した索引やらの前のページだ。
すると、そこには、(主要参考文献)というページが、
46ページ書き連ねられているではないか!
あまりの驚きに、本を取り落しそうになった時に、
その前のページがめくられた。
っとそこには!
(注) のページが70ページに渡って延々連なっていたのである。
それらを全部足すと、140ページが、本文とは別に重ねられている。
すごい!
(注)や(主要参考文献)や(人名索引)や(事項索引)が、
どうしても必要な内容が、本編に書き連ねられているらしい。
注:ちなみに私がこの春出版した
《蕎麦は食ってみなけりゃ分からない》は、255ページ。
これを当てはめると、全体の3分の2が《注》らに、
占められることになる。
しかも、これらの中に埋没するかのように差し込まれている、
「あとがきにかえて」という、7ページ分を発見するのに、
かなりの時間を要した。
注:私のあとがきは行換えだらけの2ページ。
実は、まだ冒頭からは1ページも開いていない。
怖いのである。
目次を見るのが怖い。
(序文)とかあるのだろうか?
(登場人物紹介)とかあったら、覚えられるだろうか?
とりあえず、独立して立ってくれる頑丈な体格を頼りに、
本棚の端っこに立っていてもらおう。
「豆腐の角に頭ぶつけて死んじまいたくなった」時に、
手に取ることにしよう。
読むのか、ぶつけるのかはその時考えよう。