《リチャード・ドレイファス》という役者がいる。彼を最初に観たのは、映画《アメリカングラフィティ》。
とてもティーンとは思えない落ち着きで、
映画を支えていた。
この映画の曲オールディーズが、今の私の音楽を支えている。
次に出会ったのは、映画《未知との遭遇》。
特撮もブルーバックもない時代のSF映画である。
スターウオーズの前年に観た。
この興奮は、どう言えばいいだろうか?
UFOを信じるとか、宇宙人がいるかどうかと言う議論なんか、
どうでもよい衝撃があった。
それまで観てきた映画と、一線を画すウッタエルものがあった。
大人になったドレイファスに遭遇した。
次に、映画《スタンバイミー》。
私の中で、完結させてくれた映画である。
人生の長い時間は、短い時間の繰り返しであると知った。
想い出とは、想うからこそ出てくるモノだと知った。
向こうから想い出はやってこない。
自分から迎えにいかないと、出てこない。
それでも強引に出てくる想い出は、
切なさの極地である。
溜まりすぎた想い出をどうしたらいいか分からず、
文章にしたためたり、写真として飾ったり、
飾れないモノを、処分したり、
想い出のやりばに、一憂する。
「スタンバイ・ミー」という言葉を私は間違って解釈していた。
映画では、友達が自分のそばにいてくれると言う意味だ。
ところが、こう思っていた。
「いつもスタンバイしているボク」
28才の時に、舞台で、
つかこうへい作《寝盗られ宗介》を初主演した。
その最後のシーンに、スタンバイミーの曲で踊りながら、
長ゼリフを語る。
まだ役者とも言えない様な卵の時代。
常にスタンバイしている自分を重ねていた。
待っていれば明日があるような気がしていた。
明日を夢見て、いつもスタンバイしている・・・
《スタンバイ・ミー》
今もこの歌の意味は変わっていない。