池塘(ちとう)という山の中にある池は、
鏡になる。
鏡とは、ほぼ完ぺきに、被写体を移す道具であるが、
池塘も、かなりのレベルの鏡となる。
水深が浅く、長い間積もった葉っぱなどの堆積物が、
焦げ茶色となり、光の反射を著しくさせる。
その上、浅いという条件は、波がたちにくい。
周りが草で覆われているので、さざ波すら立ちにくい。
高い樹木がないので、遠くの森林や山が映りこみ、
通常の鏡以上の反射鏡となる。
会津駒ケ岳の頂上から北に向かってひろがる稜線。
稜線と言っても、だだっぴろい野原である。
2キロ以上続く草原地帯に、何百という池塘が点在する。
その池塘を縫うように、木道が敷かれてある。
木道に触れなんばかりに池塘があったりもする。
ところが多くの池塘は遠くの方まで広がっているので、
全部を見ることはできない。
そこでやはり、ここではドローン映像を見てみたい。
なんでもかんでもドローンでは味気ないが、
この一帯の空からの俯瞰図はとても興味がある。
登山者が木道しか歩かないルールを守ることによって、
池塘群が残された。
残されたものの、見てみたい願望は膨らむ。
ドローンが生まれた時代以降の人しか見られない鳥の目。
穂高の岩場などをドローンで撮影している。
すさまじい高度感にゾクゾクする。
ところが、その場所は人が居ようと思えば居られる所だ。
対し、会津駒ケ岳の池塘群の中は、
人が決して入れない場所。
意図された人跡未踏の場所に行けるのである。
将来的には、3D映像で見られることだろう。
望むらくは、あの池塘群の中をあるいている時に、
ココというピンポイントで空にとびあがりたいものだ。
「あの向こうはどうなってるのか?」
「真っ赤なナナカマドで隠された先になにがあるのか?」
ふくらんでいる想像は、果てしない。
数えられないほどの池塘の中にいると思っているが、
おそらく鳥から見れば、
ほんの一部しか目にしていないのだろう。
別天地という言葉は、ここで生まれたと言っていいかもしれない。