お陽さまに起こされるのが好きである。寝室が、徐々に明るくなり始め、最後にドカンとばかり、
お陽さまが照りつける。
暖房まで入れて眠っていた部屋に、強烈な熱をおくってくる。
惰眠をむさぼる私を許さない。
まさに、ドカンと叩かれた感覚がおこる。
しかたない、起きよう。
カーテンを全開にし、窓をあける。
朝の決まったルーティーンが、どんどん遅くなっている。
日照時間が縮まっているセイなのだが、
これが困る。
もはや、お陽さまに起こされるより前に、起きてしまっている。
早朝、5時に起きると、まだ真っ暗。
こうなると、着替えて、お茶をのんで、あくびをして、
パソコンに向かって、カチャカチャしている頃に、
やっと、空が茜色になる。
これでは、お陽さまに起こされる楽しみはない。
むしろ私がお陽さまを引っ張り上げている気持ちになる。
そんなバカなと思われるでしょうが、実際、窓に近寄り、
遠くの山の端が群青色から、赤く染まり始めると、
両手を差しだして、下から上にグルグル巻きとろうとする。
東の空というスクリーンをロールしている。
「はやく出てこい」とばかりに、腕をかきまわしている。
人が見れば、太極拳を演じているように見えるかもしれない。
これから先、一か月にわたって、どんどん日の出が遅くなる。
私の太極拳は、その分、遅くなるのかと思いきや、
実は、《長くなる》のである。
真っ暗のうちから、グルグルが始まるので、やや怪しい人になる。
「早朝の体操をしている」と考えてもらえば、
ただの運動オジサンにすぎない。
ところが、心の中では、
「出てこい、お陽さま~」などと叫んでいるものだから、
もしその声が漏れると、太陽信仰の儀式に見えなくもない。
まあそれはそれで構わないのだが、
冷えてゆく秋の日々の中で、お陽さまの出は、儀式化してもよい。
たとえば、山の中で、早朝お陽さまが出る喜びは、
熱にあたりたい願望である。
ほんの少しお陽さまが顔を出しただけで、とてつもなく暖かくなる。
生きを感じる瞬間と言える。
おはよう!