〈金庫〉家の中に、金庫を置いてある家庭は多い。
映画のように、壁に掛けてある絵の額をズラすと、
露骨に金庫のダイヤルが現れるといった、
典型的な隠し金庫の場合は少ないと思われるが、
大なり小なり、金庫は隠したがる。
本来は、ドロボウや火事から守る為にある金庫だ。
しかし、その中に入っているモノで、金庫を必要としないモノもある。
高価な入れ歯とか、高価なサングラスとか・・・
そのセイなのか、頻繁に金庫を開ける習慣になっている。
すると、どうなる?
いちいち、番号を合わせ、隠して置いたキーをとりだし、
ガチャリと開ける。
その後、ふたたびキーを隠す。
この一連の行為を、一日に何度もするようになると、
メンドクサイってんで、金庫を開けっぱなしにする輩も現れる。
それはあんまりだ、と言うので、一応鍵は掛けるのだが、
番号を忘れがちになるので、金庫の表面に、
紙に番号を書いて貼っていたりする。
キーをぶら下げていたりする。
これでは、ドロボウに「どうぞどうぞ」とお金を差し出しているようなものだ。
その昔、《盲点をつく》という言葉が大好きな方がいた。
応接室の絵画の裏に、金庫を隠していた。
もしドロボウが入ると、当然見つかる。
腕のよいドロボウにかかると、カギを開けられてしまう。
ところが、カギを開けても中にはロクなものが入っていない。
では肝心の重要なモノはどこにあるのか?
実は、金庫は二重になっており、中に隠し壁がある。
後ろ半分は、裏の部屋から開けられるようになっている。
つまり縦に長い金庫を、壁に埋め込んだという訳だ。
この金庫の長所は、ドロボウがすぐに見つけ、開けられ、
何もないので諦めて出てゆく。
欠点は、慎重なドロボウであれば、
裏に回れば、そこにも怪しい仕掛けを壁に見つける点。
では、そんな金庫を作らずに、別々に隠せばいいじゃないか、
との意見には、口を尖らせる。
「それでは、盲点を突いていない!」
危険を承知で、あくまで「盲点を突くこと」を信条としているのである。
なにもドロボウに盲点を主張することはないだろうと、思われる。
「いや、ドロボウに突くからこそ、最高の盲点なのだ」と言う。
分からいでもない主張だが、盗まれてしまったら盲点もクソもないだろう。
「ふふ、そんな事もあろうと、本物の書類は別の場所の金庫に・・」
――もう、わからん。