《ステンドグラス》なるものを、しばしば目にする。教会の窓にはもれなくステンドグラスが嵌め込まれている。
色とりどりのガラスのモザイクである。
最近では、喫茶店や、衣料品店、あるいは自宅に、
嵌め込む方もおられる。
さて、私は、ステンドグラスなるものを誤解していた。
アレは、外の光を受けて色がつくステンドグラス、
そのものを眺めるモノだと思っていた。
ところが・・・
実は、違ったようである。
先日、とある教会に午後の時間に訪れた。
すると、外の光がさしこみ、床に、
色鮮やかなジュウタンが生まれている。
「なんだコレは!」
光が描いたというより、そこに非常に美しいパッチワーク絨毯が、
敷かれているかのような錯覚を覚えたのである。
その上、その絨毯は発色している。
しばし、呆然としてしまった。
これまで思い込んでいたステンドグラスの観念がひっくり返った。
あまりに美しさに、床を触ってしまった。
ふと、壁を見ると、壁にも色とりどりの壁紙が発色している。
なんとまあ~!
理解した。
教会には、晴れた日に訪ねるべきだ。
きっと光をうまく取り入れられるように、
窓を配置しているに違いない。
ミサのさなか、どなたかの背中に、横顔に、
はたまた神父さまの衣服に、
色あざやかな輝きをみることができるだろう。
ステンドグラスそのものを見ても、
「ああ、色とりどりだな」の感想で終わってしまう。
しかし、光が映し出す結果は、驚きを与えてくれる。
そしてそれは、時間と共に移りゆき、
やがて消えてゆく儚さも持っていた。
空に浮かぶ雲のいたずらにも、一喜一憂させられた。