昨日、山の中で、恐ろし気な雲が襲ってきた話をした。では、雲は、そんなものばかりなのだろうか?
山の中では、地上で見る雲と、異なった雲を見ることができる。
おそらく、雲にほど近いから起こる見え方なのだろうが・・・
(いま、おそらくと書いた所で、変換したら、お空く となった。
空の話をしているので、パソコン君がおもんぱかったらしい)
冒頭の写真は、北八ヶ岳にある《雨池》あまいけの上で見た空。
雨池は、真冬には、湖面が凍り、その上に雪が積もる。
常にマイナスの気温なので、池の上を歩くことができる。
まったいらな平原である。
雪の中を歩く為に開発されたスノーシュー(洋かんじき)の出番。
自由自在に湖面を歩き回る。
初めて冬の湖面の上に、足を踏み出すには勇気がいる。
バリッと割れるんじゃないのか?
真冬の氷の下に落ちる自分を想像してしまう。
特に、体重の重い方は、たとえ皆が歩き出しても、躊躇している。
当然だ、これまで何度、椅子を壊したり、
木の階段を破損したかわからない。
「大丈夫だ」という言葉は、「きわめて危険」と同意語としている。
さあ、そんな時、空が美しいイタズラを始めた。
気象的には、《絹雲》にジャンルされるだろう雲。
この空を絵に描くには、どうすればいいのだろう?
刷毛で描き、それを繊細に横になびかせる。
失敗のできない細かさがいる。
絵は、なんとかなるかもしれないが、
この空の雲は、どうやったら、こんな状態になるのだろうか?
昨日のダースベーダ雲といい、
でき方の不思議さには、空に「何か」が棲んでいるとしか思えない。
それも結構イタズラ好きの「何か」――
わたしは、「誰か」とは言っていない。
擬人化をしたくない。
擬人化は、分かりにくくしてしまう。
あくまで「何か」がいるので、こんな現象を見た人が、
恐れたり、感動したりするのであろう。
なぜ、山に登るのですか?と問われる。
「雲を見に行く」と答えても構わない日もある。