《幕岩》 まくいわ神奈川県の湯河原(ゆがわら)に幕山(まくやま)という山がある。
そこは、2月~3月にかけて、梅の名所となる。
白梅紅梅が、「春よ来い」とばかり咲き乱れ、
メジロがとびまわり、ウグイスの歌はじめとなる。
まだヘタクソな鳴き方のウグイスのホケキョが、
「ほ~キョ」と鳴くのを聞きながら、梅園の中を、
リュックを抱えて登ってゆく。
この山には、むき出しの岩が林立している。
樹木に阻まれて、よく見なければ分からない。
よくよく見れば、そっちにもあっちにも、灰色の岩がそびえている。
そうここは、フリークライマーの大好きな場所なのだ。
大好きな私も、久しぶりに山中にいた。
梅の林の中を、ウンセウンセと登ると、
高さ10~20mほど大きな岩が大量に立っている。
まるで土の中から、掘り出されたような趣で建っている。
誰かが趣をこらして建設したかのようである。
その岩の殆どに、フリークライミングのルートがある。
30年以上の年月をかけて、様々なクライマーが挑み、
登り切ったルートに名前を付けてきた。
初登した人が名前を付けてよいルールになっている。
大きな岩の塊にも名前がついている。
・アリババ
・ガリバー
・シンデレラ
などなど、夢あふれる銘々が面白い。
ただし、現地には立て札などない。
あくまで、クライミング用に出版された本などで紹介されているか、
ネットに書かれてあったりするだけ。
なにも知らずに訪ねていっても、ルートの名前はわからない。
とはいえ、岩に、固定リングボルトが打ってある。
カラビナを掛ける為の金属の「オッケー」のような穴である。
その金属をたどれば、ルートのテッペンまで登ることができる。
平日でも、この季節はフリークライマーでにぎわっている。
岩登りをしたい人たちは、冬の間は、岩が冷たくて、
暖かい場所を求める。
その点、幕岩は、伊豆半島の付け根にあり、山の南面なので、
お日さまが当たると、暖かい。
ポカポカの恩恵を受ける。
「テンション!」
岩場で声が響いている。
「ロープを張ってくれ」とビレーヤー(確保者)に伝えているのである。
20年ほど前に、この地によく通った。
岩に登っている最中に、下方の梅の中から低い声がかかった。
「イシマル君、何をやってるんだネ?」
見おろすと、役者の伊武雅刀さんが、腰に手を当てて仰ぎ見ている。
「見てのとおり、岩登りですヨ」
かん高い声で応える。
「危ないからやめなさい」
「伊武さんこそ何をしているんですか?」
「見てのとおり、梅見物だよ」
「登りませんか?」
「んな危ないことできるもんか」
岩場は声が反響する。
「伊武さんの低い低音と、イシマルさんの高音が、
シンフォニーよろしく、奏でられていましたよ」
・・・と仲間の言。