昨日、つくしの冷凍庫の話をした。そのついでに、冷凍庫(独立型)に頭を突っこんだところ、
コレが見つかった。
《小アジ》
昨秋、東京湾の岸から釣り糸を垂れた。
夕暮れせまる30分ほどの時間、小アジが入れ食いになった。
家にとんで帰り、すぐさま処理をする。
頭をはね、内臓をとり、ゼイゴ(体側のギザギザ)をそぐ。
もちろん当日は、刺身に焼き物に揚げモノと、
おお賑わいの食卓だったが、残った小アジたちを、
小分けにジプロック袋に入れ空気を抜き、冷凍庫におさめた。
おさめた事で安心したのか、そのことをすっかり忘れてしまった。
残念なことに小アジたちの上に、猪やら鹿やら豚やら牛やらが、
わんさか「我も我も」と転がりこんだものだから、見えなくなってしまった。
忘れさる条件が重なってしまった。
昨日のつくしの想い出によって、蘇った小アジたち。
さて、どうしよう?
本格的に蘇らせようか?
つまり解凍をうながすかどうかである。
はやく、目覚めさせないと、そろそろアジ釣りの季節である。
ふたたび新鮮なアジを釣って持って帰るようになれば、
冷凍庫の中の小アジたちは、
「忘却のかなた」になる可能性がある。
ヘタすると、ラザニアのように積み重ねられた肉たちの上に、
新たな小アジが乗せられないとも限らない。
・・と、いまドキリとした。
ひょっとすると――
ラザニア状態の冷凍庫のずっと下の方に、さかのぼれば、
懐かしの小アジが潜んでいるのではないだろうか?
たしか、小アジ釣りには、2度行った。
一回目の時も、入れ食いだった。
その残った小アジはどうしただろう?
すべてたいらげただろうか?
もし、明日なんの発表もなかったら、
「たいらげていた」と思って私をほめて頂きたい。

頭をはねる前の小アジたち、と、タナゴ