イギリスの蒸気機関車
身体の状態を知るのに、私は、朝起きると、
「せかいのしゃそうから」と声を出してみる。
声とは、身体という楽器から出てくる。
喉という単体だけで発しているのではない。
トランペットの形状を想像していただければ、お分かりのように、
吹き口の部分はあくまで音の出だしをコントロールする場所であって、
音色や響きや大きさは、そこから繋がる長い管にゆだねられている。
トランペット奏者は、演奏をするのに、その前に何度も吹いて、
楽器を温めている。
管楽器も弦楽器も打楽器も、同じだと、以前聞かされた。
人間の身体も楽器だとすると、体調の悪さは、声に直結する。
簡単な例えをすると、
《肩が凝れば声はしゃがれる》
大きな声を出し続けると、しゃがれたりつぶれたりする。
しかし、声がしゃがれるのはそれだけではない。
仮にアナタが重いリュックを背負ってしばらく歩くと、
肩が固まり、その結果として声がしゃがれる。
楽器の一部が、響きの邪魔になったと考えられる。
では、自分という楽器の状態を知るにはどうしたらいい?
声を出せば分かるかと言えば、そう単純ではない。
身体のよし悪しの敏感さに、喉は、微妙にしか反応しない。
しゃがれるほどの身体の悪い時は少ない。
そこで、人によっては、いつも一定に使っている言葉を発するのが、
リトマス紙代わりとなるのだ。
人は、一定の言葉は、そうそう喋るものではない。
それが、私の場合にはあった。
35年の間、同じ言葉を使い続け、
《一定》を知る唯一の素材である。
「せかいのしゃそうから」
微妙な変化を感じることのできるリトマス紙である。
朝、ひとこと喋ってみると、その日の身体の状態を、
100点満点の何点かと分かる。
医者の問診を自分でやっているようなもんである。
「酒をすこしキコシメシタようですね」
「ふくらはぎが張っておりますナ」
「枕が柔らかすぎたのですか」
次々に、問診の結果が発表される。
時には、
「ひょっとして、絶好調?」
そんな時こそ、気をつけようネ。
あ~たの場合、すぐつけあがるのだから――